心を揺らさない事
どちらが良いという事ではなく、要はバランスの問題で事を起こす発端をしては心が振動をしていた方が良いわけです。
けれども、その発端になった事をしはじめた際には、毎日毎日同じ事を繰り返して行わなければなりません。
楽しい、楽しくない、怖い、怖くない、嬉しい、嬉しくないという感情をわざわざ自分で引き起こしてはなりません。
人間は暇になってくるとすぐに心を揺らそうとします。違う振動を求めるのか、心の揺らぎを求めるのか、それはいづれでもかまいませんが、人間はネガティブな作用の方がよりイージーに感じられるという事を知っていますから、心が動く、感情的になるという事を暇つぶしに利用します。
それが、怒り、苦しみ、というものになります。本当はそんな事を感じる必要などないのに、無意識に周囲のあらさがしをじはじめるのです。それを、見て苛立つ、悲しい、苦しいというような感情を持つわけです。
それは、僕も同様ですから、その動きの仕組みをい自分自身が理解をして体系的に概念として知識として吸収をしている今、心の動きにあまり意味をつけてならないという事を感じています。
何かを成し遂げようとしている際に、あまりそれ自体に意味をつけようとしてはいけません。
よく毎日の小さな幸せを見つけようという人がいます。それはそれで素晴らしい事ですし、良い事を発見していく習慣は大切なものです。しかしながら、それを感じるためにそれを見つけようとして逆に、見つからない自分に対して、それが嬉しいとか悲しいとか、幸せだという事を感じられない自分に対して、「自分はなんてダメなのだ」と思うくらいであれば、そもそも、やはり勝手ネガティブになっているのです。
だから、感情を動かすという事をやめてしまい、目の前のやるべき事をやっていくだけで良いのです。
そもそも、物事の方向性を決めていくのは言葉自体、企画書に書かれた言葉自体なのです。
仕事としてそれを淡々と遂行をしていくという事がときには必要です。全てのことに感情的になっているのは、あまりに消耗が激しく、それ自体が生み出す作用はあまり効率的ではありませんし、自分が成し遂げたいことにとって本当に必要なのか?と考えた際に必ずしも嬉しい、悲しい、幸せという感情はいらないという事に気がつかなければなりません。
どういう事かというと、サービスなどは受取る側がどのように感じるかという事については、その人自身の問題です。けれども、どの人がどのように感じるか分からないサービス提供者側は、その人に自分のサービスなどがあるという事を気がついてもらうまでの間の情報提供、広告、サービス体系の構築に関しては無機質に準備をしておかなければならないのです。
それを準備している間は心ではなく、物理的にそれを用意していなければ話になりません。
だから、その準備期間に心を入れるとか、それ自体は自己満足の極みです。そして、そこで嬉しい、楽しいという心ならまだしも、大抵はネガティブになってしまうものです。
また、物事と物事が心で動いているという事は否定はしませんが、ある程度の部分は心というもので動いているけれども、ある程度の部分は、もっと無機質にそこに存在しているものの性質の違いによる摩擦や融合という事で成り立ちます。
それを感情ではなく、ただ、性質的にこの2つは、融合するだろう、摩擦を起こすだろうという事を見つめるという事が重要なのです。
感情の話ではなく、そのような視点を持つためには心を動かしてはなりません。
一切肩入れをしてはなりませんし、どちら良い、どちらが悪いという勘定や、自分の価値感から見たものではならないのです。あるひとつの集合的まとまりの意見と、それに対峙する意見について客観的に見て、その対峙する問題に関して水と油のように交わらないというものなのか、融合できるものなのかという事を外部的に考えるわけです。
それを可能とするための世界を構築する事が、今後のビジネスや世界を見つめていくためにとても重要な事なのです。
本年は、それをより意識して、もっと感情を動かさないで、その物事と物事の性質を見るという事の訓練をしていく時期だと感じます。
心を揺れていた方が暇はしないかもしれませんが、物事を成就させようとするとき、その成就までの過程では、心を動かさす、物事に意味をつけず、単純に毎日毎日同じ事を繰り返さなければならないという事があり、そちらの方がより豊かな人生を経験するためのバランス感覚を手に入れてることが出来るという事を実感をしているのです。