優しさを履き違えてはいけない
引き上げられた世界でまた同じところつまづく事になるのだから、過剰な優しさは相手の自尊心や生きていく力を失わせる行為なのだと実感をしているけれども、所詮は僕も普通の人間で普通の男性だから「ふと」した瞬間に一気に社会的な力を使って特定のその人を引き上げてしまいたくなる事がある。
けれども、僕自身がそれをしてもよくならないという事をよく知っているし、それをしたところでまた同じようなことでその人自身がつまづく事は目に見えている。環境を用意するのではなく、大人なのだから自分で認識をする世界を変えていかなくては何も解決しないのであるから、安易に手を差し伸べてはいけないのだ。自分でその問題を解決するようにしていかなくてはならない。
慰めるとか、悩み事を聞くとか、その程度に留めて辛抱強くその人を見つめていなくてはならない。その人はその人で必ず自分でそれを解決する力をもっているのだから。
安易に手を差し伸べる事でその人は生きる力を失ってしまうから、安易に手を差し伸べて苦痛から開放するという事は実はあまり良い事ではないし、極端に言えば緩やかな殺人に他ならないと思う。少しづつ、少しづつぬるい世界で生きる力を失っていってしまったら、その人は自分では生きていけない存在になってしまう。
だから安易に「もう充分だよ」とその場所から逃がしてあげるようなそんな事を僕はしていけない。随分と僕自身が心を強くもっていないと、僕自身もその人が苦しんで泣いているところ見たくないから、今の自分の力で一瞬で引き上げてしまいたくなるけれども、それをしてしまってはいけないという事を再度もっとよく認識して心に硬く誓わなくてはならないのである。
つまり、優しさを履き違えてはいけない。実感が伴う形で自己解決をしてもらわなければ同じことを繰り返す事になってしまうから、安易に手を差し伸べてはいけないのである。そのような事は、例えその人が泣いていて辛そうにしていても、その人自身がその問題と向き合って自分で解決をしなくてはならないのである。
安易に手を差し伸べないように、そう心に誓っておかなければならない。