中高年のHIV感染の増加から見える 自己責任感覚の欠如
性愛について、つまりセックスやエッチと言われる類の事に関してタブー視をするという事はありません。その一方うで元来神経質の面があるので、性病(STD)、HIV(後天性免疫不全)、クラミジア、淋病、梅毒、肝炎などについて他の人よりかなり気にしているほうです。
その結果として、定期的に血液検査をします。その際にはHIV抗体検査も合わせて行います。その際に感じるのはHIVという言葉を出しただけでも、医療機関の人間であっても一瞬間が開きます。少しばかり驚いたような顔をしたいのを隠しているという雰囲気は伝わってくるのです。
案外と僕はスタンダードな感じでHIV抗体検査をするという事を捉えているのですが、日本国内の社会一般的な認識というのは医療機関従事者であってもこれくらいなわけですからあまり意識的に高い方であるとは言えないというのが現状だという事が浮き彫りになっています。
その一方で、恋愛に伴う性病感染リスクについての認識の低さが伺えるのが中高年の「何歳になっても恋愛を」というような風潮もあり、中高年が恋愛を楽しむというような雰囲気が最近は特段珍しい事ではなくなってきました。ただ、これに伴って、年間のHIV感染報告が若年層ではなく中高年の割合が上回ったそうです。
ここに、最もモラルを持つべき現在社会のトップにいるはずである人々のモラルの低さ、自己責任の無さという事が反映されていると言う事ができます。自由恋愛などと言ったりするのは特段かまいませんが、勝手に恋愛をしてセックスをしておいて、そのケアをせずに感染を広めていくという無責任さ。
既婚者であれ、中高年であれ人間であれば恋愛をして性的交渉を誰かと持って良いと思いますが、それに伴う責任を最低限果たして欲しいものであると思わずにはいられません。
イマドキの若者は・・・と言う世代がこの有様なわけです。恋愛は自由だとか、恋する心みたいなものを語るのは大いに結構ですが、それに伴う責任というものを認識出来ないのであれば、その資格さえないわけです。
僕は同性愛、異性愛などの偏見は特にありません。また、風俗などに関しても特段偏見はありませんし、そこで遊ぶ男性、そこで働く女性に関しても偏見はありません。
しかしながら、しっかりとリスクを認識出来ないのであれば、それをするに相応しくないという事が言いたいわけです。しかも現在、それに最も遠い位置にいなければならないはずの社会的には働き盛りの中高年に蔓延しているというのは結局のところ、指導的で模範的な立場になるべき中高年という人々のモラルの低さを示すものであると言えるわけで、従って若者のモラルなどを指摘している場合ではなく模範になるべき層がダメな状態であるから益々まずいといえるでしょう。
自由恋愛という点に関して何かを言うのは結構ですし、セックスを楽しむのも大いに結構なのですが・・・。中高年のHIV感染の増加を聞いて、自己責任、責任というものをとるという事を知らない人が社会の働き盛りと言われる人々であると思うと、それに育てられた次の世代を担う若年層がダメになるのも納得するしかないという状況であると溜息が出ます。
しかしながら、現在の中高年の時代的背景としては性感染症などが大きく騒がれた時代でもないですしバブルの時期でもありますから、異性関係の遊びというのも派手に行って大いに遊んだ人も多いという特徴もあります。どことなくタブー視されつつも、繁華街などでそのような性的な遊びがタブー視されたという時代ではないはずです。
時代背景から見るにしても、バブルの活況もあり性にも開放的であったのは現在よりも、現在の中高年の世代であると僕は分析をしています。けれども、そこに自己責任などの観念は現在より欠如しています。当時の若者が現代の中高年です。
それが自分の好きなように恋愛をしても良いんだ!!と主張しているのにも関わらず、そこにある性交渉のリスクである性感染症の事を認識しておらず、さらには責任もとらないというお粗末さなわけです。
恋愛をして「切ないです」「泣きたいです」「すっごく彼の笑顔が幸福です」なんて、それを楽しむのは大いに結構ですが、若年層にしろ、中高年にしろ、大人なわけで理性、知性を備えているはずですからリスクを認識した上で恋愛を楽しんで、その責任を負うという事を考えて頂きたいと思うのです。
恋愛と言えば、キレイで良い響きなのですが、けれども結局のところは、下半身のお話です。子孫繁栄のプロセスに組み込まれたものを人間が知性を持った故に概念形成をして作ったキレイなものが恋愛なわけです。しかしながら、夢のない言葉で言えば生殖行為です。
最近の風潮では、「恋愛はいつまで出来る」とか「恋する心は止められない」と言ったりして衝動的感情論を全面的に肯定してそれが人間であり自然であるというような風潮を作りだしていますが、本能を理性、知性というもので抑えるとか、それが性的衝動であるならばマスターベーションでとりあえず満足をするという事でおさめて周囲との人間関係を壊さないようにしてきたのが理性のある人間です。しかし、現代では本能の赴くままに動物のように頭で考えないで我慢もせずに「いつ生殖行為(恋愛)をしてもいいじゃない!!」と言っているのと変わりがない状況なわけです。
全く無責任な話で、セックスをする相手のことなど全く考えていないわけです。それで「恋愛」や「人を恋する気持ち」なんて言われた日には、「はあ?」と首を傾げたくなるのです。
よくよく、考えてみて頂きたいと思います。恋する気持ちが止められない人は、自分が健康であるか?セックスをする相手に感染症をうつす事はないかという事をしっかりと調べた上で本当に安全で相手に性的満足を与えられて心から楽しめるという状態で性的行為を行って頂きたいと思います。
なぜなら、それが大人であり、相手を思いやるという事であり、責任であるからです。それが出来ないのならば、そのような事を言う資格などありません。