論点はそこじゃない ~
僕はそれを見る度に、キレイ事だけを偉そうに語るだけなら誰でも出来るだ・・・と溜息が出ます。また、少し怒りにも似た感情に襲われます。
最も重要な論点を忘れて、そこを飛ばして議論をしているからです。
いくらキレイ事を言っても良いです。でも、忘れないで下さい。それを支援するための財源はどこにあるですか???誰がその財源を出すのですか???
つまり、お金さえあれば解決してしまう問題です。殆どの問題がお金があれば解決するんです。でも、今のキレイ事議論だけを見ていると、お金の事を無視をして、支援するためのお金が足りないのなら、ではそのお金をどこから調達するのかという発展的な議論と具体的行動をしている団体を僕は見た事がありません。
結局のところ国の制度が悪い。。。もっと、弱者に支援を。。。民間団体も声を上げて国に抗議しようというような行動が殆どです。
なんでお金を出し合ってみようという議論が出てこないのでしょう。その団体で何か社会的な活動をして価値を提供して、お金を確保していこうという議論が出てこないのでしょう。社会活動を否定するわけではありません、本当にキレイ事だけではなくて実際に早急にでも対応していこうと思うのなら、本当にそれが問題だと思うのであれば、そこに集まった人々が神妙な面持ちで集まって一銭にもならない議論などを繰り返している場合ではありません。
ただ、国を批難するだけの集まりでは何も変わりません。そのように団体としてあつまって社団法人などを結成するのであれば、その団体としての価値を社会に提供してお金にして下さい。そうしない限り問題は何も解決しないですし、その団体も勝手な事を言っているだけの集団に過ぎません。
結局、自分の腹は痛めたくないけれども、キレイ事を言いたいってだけではないか・・・と。例えば、就学が苦しい親戚がいるのなら、月に1万円でも自分の財布から与えてあげれば良いでしょう。そのような活動に参加するより確実に一人助かります。
でも、自分の財布から出したくないんですよね。。。と思わずにはいられません。
どのようにしても、お金が無ければお話にならないんです。誰かが与えてくれるわけではありません。それが貧困という事が本当に問題であると言うのであれば、それを問題提起している人々はどれだけそれに命を懸けて訴える事が出来るのでしょうか。
命を懸けて訴えるというのは、その問題の本当の問題部分にどれだけ向き合ってそれを解決するのかという事です。つまり、お金も問題ですから、いかにお金を稼ぐという行為をどれだけ支援する事が出きるのか、又、お金を稼ぐためのビジネスのスキルなどがつくまで、支援するだけの財源をどれだけ確保する事に奔走する事が出来るのかという事を指します。
僕は僕で、出来る事をしたいと思っていますのでビジネスの拡大を目指しています。僕が何歳でそれを出来るかは分かりませんが、人に何かをするというのは、お金が必要なんです。
僕は自分が両親にしてもらった事と同じ事が出来るような孤児院を作りたいと思っています。一人の子どもに満足な教育などを与えるために、自分が与えてもらった教育や、それに近い家庭環境とほぼ同じくらいの水準のものを作って乳児院を運営するとすれば、人数の受け入れは多く出来ませんが、かなりのお金がかかります。
最高でも10人くらいしか受け入れらないでしょう。全員を大学卒業まで預かるとして、単純に一人約2600~4000万円のお金が必要です。10人全員に4000万円かかると計算した方が安全でしょうから単純に考えて4億円必要です。
国のお金に頼る事はしないでこれをやりたいと思っています。でも、僕の体は一つしかありませんから、お金を稼ぐという事に注力をして、それがプラン通りに動くように、人の時間を買っていくしか方法がありませんから、多分もっとお金が必要になるでしょう。
だから、今のビジネスでは全く足りないのです。普通の世帯としてやっていくのならやっていけますが、上記のような孤児院を運営しようと思うと全く足りないです。
だから、もっと、もっとビジネスを拡大し続けなければなりません。小さな額では全く足りないのです。でも、多分こういう事は必ず叶えられると思いますので、とにかく、やっていけるように事業を拡大していこうと思います。もっと、もっと、もっと、ビジネスの拡大を求め続けて効率よく拡大をしていこうと思います。
圧倒的なスピードで、誰もが驚くようなスピードで急成長をさせて価値のあること、意味のある事を、この世界に遺していけたらと思うので、僕は独自路線ですが、やってみようと思うのです。
自分の責任の範囲で、誰かの責任にするのではなく、国の政策が悪いとヤジを飛ばすのではなく、ただ自分に出来る事を合法的に行って力をつけていき、これは意味があると自分が確信する事を、やっていきたいと思います。