どんな世界で生きる事を希望しますか?
頭で考えるのではなく、今の自分の状況から推測して出来る範囲の事を考えるのではなく、ただ素朴に何を自分は求めているのかという事をしっかりと考えてみるのです。
その時に、気がつく人は気がつくと思うのですが、「実は何もない、何も思っていない」という事実に。すなわち自分が自分であるという事をこれまでに考えた事がなかったという事に気がつくのです。そのときの絶望感といったらないです。
だから、逆に与えられたことをしているという事に安堵を感じるのです。嫌だとこぼしていても、そこには一応必要とされているというまやかしのような安易な安心と自分の存在を外部的に定義してくれる外部存在があります。自分が望みそこに居たいと希望する世界の事さえも頭の中にはないという事に気がついたとき人は不安になるのです。まるで自分が消えてしまうような不安に襲われるからです。
自分で自分を定義したことがなければそのようになってしまいます。自分は何をするための存在であるのかという事を考えるという事はとてもしんどいという事です。自分が好きな事をすれば良いと人はよく言いますが、そこには相当な覚悟がいるのです。自分が自分でいるという事は何となく最近の風潮では軽々しく使いますが、それは実は最も辛い厳しい生き方であるとも言えます。
けれども、自分の好きな事、自分は自分であるという事を定義出来た人間がなぜあんなにも輝いているのかと言えば、それは最も辛い部分である自己の存在の確定を自分で行いそれに伴って外部世界を認証し認識してきた結果として、そこに自分の存在があるからです。
自己中心的な振舞いをしろという事では決してありませんのでお間違いのないようにして頂きたいと思います。ただ、自分がこのような人間でありたい、このように人と触れ合っていきたい、そして自分はこのように動いているのだという自己責任を伴う思考体系の中で生きているからこそ輝けるわけです。
最もしんどいのは、自分がどのような存在であるかを自分で決定するという事です。これに伴って現実が動いていくわけです。けれども、この構成を理解していてもなかなか実現する事は難しいのが現状なのかもしれません。精神力と人はいいますが、どのように精神力が強い人でも存在の根本が揺らいでしまっては精神的に不安定になって壊れてしまいます。
よく超エリートでやってきたけれども、会社をクビになった瞬間に自殺を考えてしまうような人がいます。これは、前述した自己の存在を自分で確定できていないからに他なりません。誰かのルールに頼り、自己の存在価値を置いていたわけですから、会社からクビになった瞬間に、もちろんの事をその人の中では自分の存在価値は全く無くなってしまって当然です。
自分がどのような世界で生きる事を希望するのか?これをしっかりと考えて自分の存在価値を自分で決定していかない限り自由になどなれません。けれども、それが最も辛いのです。けれども、それが出来た後には、あなたはあなた個人としてしっかりと存在していけるし、どこまでいってもあなたはあなたの責任の上に成り立っている個の存在であるという事を認識する事が出来るのです。
辛いし、しんどいかもしれませんが、もっと自由になりたいと願うならはじめにかなりの辛さを経験しなくてはなりません。精神的不安定から、外部世界に依存しない形で自分の存在を自分で定義しない限りずっと自由になる事は出来ません。
決してポップな世界ではないですし、はじめは不安で仕方ありません。吐き気がして精神疾患になる人も数多くいるかもしれません。でも、それを乗り越えて、そこに自由があるのです。自分で世界を認識して自分で関わっていくという事でしか自分の未来を選択する方法はありません。
そこまで辛い事をして、不安定になってという事が嫌なのであれば、ずっとそのまま進んでいく事を誰も否定はしません。けれども、その環境に文句を言える立場でもないという事を忘れてはなりません。用意された環境の中でこの範囲で生きていれば、これを保証してあげようという世界の中に生きているのであれば、そこに文句を言えるわけはなくよもや感謝をしなければなりません。
自分で何かを確定しようとするとき、保証なんて誰もしてくれないのですから。ある程度安定するまではずっとずっと吐き気と、自己嫌悪、不安の中でやっていき、ひとつひとつ乗り越えていく段階で自分の自信をつけ自己の存在が少しづつ確定していくのです。
自由にやっているという人を羨ましがる傾向にある昨今ですが、かなり厳しい世界であるという事も忘れてはならないと思います。結局のところ、用意された制度の中で生きていく方が楽ですから。自由になるという事は、まず自分の存在がどこにあるか全く分からなくなるというところからはじめなければならないという事が言えますからかなり覚悟を決める必要があるという事をしっかり認識をしてまた自分がどのように生きていきたいのかという事を考えて、進んでいくと良いのではないかと近頃は思うわけです。
いま私にとって。
また、すっくと
茎を伸ばした瑞々しい草木のようですよ。
いいですね。