君がなにをしても必ず批判をされる
あなたがしても、僕がしても必ず批判されるという事です。
どんなに良い事をしてもです。
でも、逆にどんな悪い事をしても、それを絶賛する人もいる。
なにをしても、どのような行動をしても、それを絶賛する人も
いれば否定する人もいる。そして批判する人もいれば肯定する
人もいるのです。
僕も見ないようにしながら、妥当性がある事であればその批判
否定を受入れてきました。ただ、論破されればという限定をつ
けています。
ただ、「こうした方が良いと思うよ」→「どうしてそう思うの?」
という流れだけは必ず入れています。
全体がどこに向かいたいと思ってはじめられた事なのか?という
ことから全体を見渡してリスクと、それを採用した際に得られる
結果を比較してリスクを吸収できるのであれば、それを採用して
進んできました。
気がつかなければならないのは、自分がどのような生き方をして
も必ず否定をされるという事です。そこには批判もあります。
けれども結局のところは、どこを基点してその論陣が張られるか
という事であって、同じ目的に進むにしてもそのプロセスの違い
という事でしかありません。
ですから、あまりに何かをする事を恐れてはいけません。どんな
事を自分が決めて進んでいっても必ず批判をされるのですし否定
もありますから、わざわざそんな事に傷ついていては進んでいく
事は出来ないのです。
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はじめて、スケッチブックに看板を書いて、外で「人に詩を書く」と
いう事をしはじめたときも、それはかなりしんどい事でした。
「その人に合った詩を書きます」という事に対して、本当にそんな事が
出来るのか?と、まるで僕を試すかのように「俺に詩を書いてくれよ」
といういわゆるチンピラもいました。
俺みたいな生き方のヤツに合ったものを書けるの?と。
手渡したその詩を読んで。
「そう来たか。おまえすげぇよ。俺、お前すごいと思うよ」と言って
くれました。「おまえ、詩を書くのやめるなよ」ってそう言って笑顔
でその場所から立ち去っていきました。
逆に、僕の書いた詩や文章には想いが感じられないという人もいました。
あまりに、キレイな言葉を使った、その詩はキレイなだけで、あなたの
心や反映されていないと言う人もいました。
で、大切にしなければならない人々はどちらでしょう?これを1人に
言われたからと言って、僕が僕を否定し出したら肯定してくれた人の
感性を否定する事になります。
大切にするべきは、認めてくれている人でしょう?だから僕は自分を
否定する事は出来ないのです。それをしてしまったら、これまでに肯定
してくれた人々さえも全てを否定しまうことになるのですから。
自分を大切に出来ない人間は他の人も大切に出来ないというのはこいう
ことなのかもしれないと思うのです。
そして何をしても否定をされますし批判をされます。これは仕方のない
事ですが、何より自分が守らないといけないのは、自分を認めてくれた
人々です。僕がそこで例えばたった一つの批判に潰れたとしたら、認めて
くれた人々の自尊心や心も同時に潰して否定・批判してしまう事と同義
なのですから。
否定・批判もされないという事は反対に言えば、誰の世界の中にも自分が
いないという事に他なりません。
批判も否定も賞賛の数に入れてしまった方が良いと思います。それだけ
目だっているという事ですから。それだけ自分の言及する事に影響力が
あって少なくとも人が反応しているという事なのですから。
否定、批判を気持ちの良いものではありませんが、それを恐れて何もで
きない人生を選択するべきではありません。
自分自身がこれから、ビジネスをするにしても、学者になるにしても必ず
独自の世界感と解釈を開陳していく以上は、僕は肯定も受ければ、批判も
否定も同時に受ける事になるのですから、僕が生きていく以上は絶対に批判
否定をされ続けるのです。でも、それを恐れているというのは人生の浪費に
他なりません。
だから、このまま突き進むのです。僕の時間はどんどん過ぎ去っていきます。
まだ若いと言わる年齢ですが、もう「オジサン」と言われる年齢でもあります。
2013年8月に僕は28歳になります。でも、まだビジネスの世界ではあどけなさも
可愛らしさも、ある年齢です。多分のこの2年が僕の使える最後の魔法の期間です。
若さという魔法。可愛く見えるという魔法の期間は誰にも平等に与えられた時間。
それを、どのように使うか、どのように過ごすかは、その人次第ですが、赤ちゃん
がコップを倒しても愛らしいように、ある程度の年齢になっても若いと言われる
時代では失敗でさえも可愛い時代があります。
その時に失敗をしても、笑ってくれる人がいる、若さという魔法の時間が自分を
助けてくれて致命傷にならずに継続出来ることがある。
その魔法のような時間のタイムリミットは一般的に20代です。それが終わった後
は、今度は自分の魅力と力で牽引をしていかなくてはなりません。
そう、だから何をしても批判されるという事で時間を浪費するのはとても勿体
無いことであると感じるのです。キツイ想いを一緒にしてきた人々が未来にどれ
だけいるかで、思い出はキラキラと輝く大切なかけがえのない記憶となるでしょう。
だから、恐れずにいきましょう。僕はそう言いたいのです。
サイトランキングを始めました。
ランキングに、登録して頂きたくメールさせて頂きました。
SEO対策にも力を入れています。
一緒に発展していけれるように頑張りたいと思いますので宜しくお願いします。
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あの村上春樹さんだって99万人のファンと1万人の敵と
戦ってる訳ですから。。。
嫌味な事を言われるのを好きな人はいないと思いますが
批判されるって事は注目されてる訳ですから、
逆に思えば羨ましい事なのかも?なんて。
誰にも注目も、相手にされないんじゃねぇ・・・。
すいません、くだらない痔論で(笑)
自分の人生と、自分が創造した作品、理論の論争とは違いますからね。作品、理論論争は大いにしたらいいが、それが人生観に及んだら論争など無駄。疲れるだけじゃあないですか。
自分の人観はしっかり持って、他者に勝つ手段をろうするのが面白い人生かも。
うんうんうんと、
心で感じながら、
文章を読ませていただきました。
人の批判も強力なのですが、
ワタシ自身が、批判の先鋒に
立ってワタシを批判しているのですから、困った展開です。(笑)。
キラリと光るワタシの存在を
もっとワタシ自身見つけて
確信に昇格させてあげて行かなければなりません。
きっと、批判よりも最強なのが
わけも分からない
根拠も無い確信だと想います。
NORI SAサマは、
それをちゃんともってらっしゃる
みたいですね~、これからが楽しみです。
私も、否定と拒絶と迫害など様々な事を経験してきました。やはり、心無い事を言われる事も多かったです。
けれど、恐れる気持ちはコントロールできない事も多いけど、それを糧に前進し成長していこうと思います。私の魂が目覚め伝わる事を信じつつ……
そうですよね。どんなに人気があって評価されている人でも批判を
されていたり否定されていたりするものですものね。
批判・否定でさえも、人気があってという前提がなければ起こりえない
ので、やはり注目されているという事なのだと思いますよね。
下らない持論だなんてとんでもありません:(;゙゚'ω゚'):
貴重なコメントを誠にありがとうございます☆☆☆
meronpandaさん、また遊びに来てください☆☆☆
楽しみにお待ち致しております☆☆☆
そうですね。難しいですよね。
仰るとおりだと思います。それに人の「生き方」というものに口を
挟んでくる人が、勝負の舞台に上がってきた事を僕は見た事があり
ません。
ただ、いくら自分に力があっても、批判、否定は辛いものです。
それが怖いという想いで、立ち止まってしまう人もいるという
のが事実で、けれども、そんな事は気にする必要もなく必ず
何をしても、それは起こる事なのですから、恐れずにと言いた
かったというわけです。
感動人さん、ご訪問にコメントをありがとうございます。
また、遊びに来てください☆☆☆
楽しみにお待ち致しております☆☆☆
人の批判・否定よりも、それ以前に自分が自分の行動を抑制してしま
う事がありますよね:(;゙゚'ω゚'):
「こんな事してもね・・・」
「これ意味あるのかな???」
「何をしてるんだろう」
って自分が自分の行動を疑問に思う事が怖くなって何も出来なくなって
しまう事もありますよね:(;゙゚'ω゚'):
最近感じるのですが、結局はどんな事をしても継続しているとある一定
の評価は勝手についてくるという事です。
たまたまなんて無いんだ・・・ってよく思います。
根拠をどこに求めるかは・・・僕も分からないのでそれは根拠の
ない確信なのかもしれませんね。
すごく確信があるのは、勝った先にしか見えない風景がそこにある
という事だけは確信をしています。だから勝ち続けようと思います。
今は作品の世界感で生きているわけではなくてビジネスの世界の
中にいるわけですから、そこで勝ち続けていく事でしか見えない
世界に辿り着きたいと思います☆☆☆
なりびとさん、ご訪問にコメントを誠にありがとうございます☆☆☆
また、遊びに来てください☆☆☆
楽しみにお待ち致しております☆☆☆
この内容が、少しでも励みになったという事が大変に嬉しく感じます☆☆☆
誠にありがとうございます☆☆☆
最終的には、自分が自分でよかった、と、そのように思えればそれは素晴らしい
人生であると思います。
最後、肉体が限界を迎えて瞳を閉じるその瞬間に後悔をするような生き方だけ
はしないようにしていきたいものですね。
お互いに壊れないように、心を成長させつつ、不完全であったけれどもこの人生
でよかったと思えるように生きていきましょう☆☆☆
ゆういちさん、ご訪問にコメントを誠にありがとうございます☆☆☆
また、遊びに来てください☆☆☆
楽しみにお待ち致しております☆☆☆
↑この手の概念(?)を最近(ここ数年)あちこちで聞くようになり、都度、ああ、その通りだな、と思うようになりました。
ムカシ、朱鷺は誰よりも自分自身に一番厳しくて、すべての人に受け入れられる術を模索しておりました。当時は、批判という概念ではなくて、まぁ、小学生だったこともあり、「嫌われる」という感覚だったかなぁ。他人に「嫌われる」ことがものすごく怖かった。だから、どうすれば、その人に嫌われずに済むのかを考える臆病な子でした。
ある小説サイトで、その作家さんの作品を好きで読みに来てくれている読者さんを大事にしましょう、ということをいつか言われたことがあり、要するに、誹謗中傷を相手にするな、そういう他の読者さんをもイイヤな気分にさせるコメントは速攻削除した方が良い、という意見に感動したことがありました。
そうか、そうして良いのか! と、目の覚める思いでした。
それから、朱鷺は治療家なのですが、講習というか、治療家としての心構えのような内容の講演というかを聞いたとき、自分を褒めてくれる患者さんを大事にして、モチベーションをあげましょう、というお話しも聞いたことがあります。
がっかりしてメソメソした治療家に治療してもらいたくないものな、と納得いたしました(^^;
朱に交われば赤くなるとか、類友現象とかってこともありますし、イヤな相手となるべく引き合わないように、自身のレベルをあげる努力もしつつ、やはり、仲間を、同じ意識を持つ友人や同士を大切にする、ということ。
すごく共感いたしました(^^)
ではでは♪
お返事が大変に遅くなってしまいまして、誠に不義理な事をして
しまいまして、大変申し訳ありません。
朱鷺さんも
>朱鷺は誰よりも自分自身に一番厳しくて、すべての人に受け入れ
>られる術を模索しておりました。当時は、批判という概念ではなくて
>まぁ、小学生だったこともあり、「嫌われる」という感覚だったかなぁ。
僕も同じでした。中学生を卒業する頃に、それが無くなりました(;・∀・)
どのようにしたら、活発な組に入れるのかな?と思っていました。でも
誰かに好かれるようにというよりは、どんどん考えは変わっていきまして
好いてくれる人に、もっと好いてもらうにはどのようにすれば良いのか?
ってことを考えるようになりました。
誹謗中傷は相手にするな~と言われて「そうか!!」って思う事もあった
のですが、やはり気持ちが良くないものですね(;・∀・)でも、誹謗中傷
もされない人がいるって事も事実で、「殆どの人は誹謗中傷もされないま
まで生きていくのだから、何贅沢な事を言っているんだ?」と言われて
そうか!!と思った事もあります。
否定・批判なら、相手も自分も解釈の仕方が違うために立場が違うという
事から起こって対立をする事がありますが、それは議論になるので良いの
ですが、本当にただの誹謗中傷というのはキツイですよね。
と、言いますか時間が勿体無いですよね(;・∀・)僕自身も若いとは言われて
いても、30歳が目前に迫ってきました。おじさんです・・・まだ、このブログ
を始めた頃は青年であったのに・・・と、そのとき以上に時間は限られている
という事を意識するようになりましたし、結局自分を嫌っている人や良く思って
いない人は、そもそも自分の世界の中に入ってこないわけですから、危害さえ
こちらに加えてこなければどうでも良いと思うようになりました。
色々な人がいますが、自分のやるべきこと、望んでいる事に向かって頑張って
いく人と多く時間を過ごしていきたいですね。やっている事は違っても目的に
向かう原動力は同じ種類のものだと思うのです。
だから、自分が変われば周囲の環境が変わっていきますね☆☆☆
朱鷺さん、ご訪問にコメントを誠にありがとうございます☆☆☆
また、遊びに来てください☆☆☆
楽しみにお待ち致しております☆☆☆
大変、不躾なお願いで恐縮ですが、記事の一部とこちらのコメントとNORIさんのご返信の一部を朱鷺のブログに転載させていただき、及びこちらのブログをご紹介させていただいてもよろしいでしょうか?
不躾なお願いなんてとんでもございません:(;゙゚'ω゚'):
転載して頂いて大丈夫ですよ☆☆☆
ブログを紹介して頂けるなんて大変光栄でございます(*´ω`*)
この度は誠にありがとうございます☆☆☆
快諾ありがとうございます(^^)