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この世界の見え方

1:世界が見えたら・・・


君には、この世界はどのように見えているのだろうか?


そんな事は永遠に分かりようのない事だけれども、まるで映画を見るかのように少しだけ君が見ている世界を見る事が出来たらと思う日があったりする。


日々薄れていく感受性。それが、いづれ無くなって、まるで心が震えなくなる前に、君が見ている世界を少しでも見る事が出来たら良いのに・・・と。





2:君という人


君は、寒い冬でも薄着でいる事が多い人。


特段寒さに強いわけでもないらしいけれど、君が言うには「あまり着込むのは好きじゃない」という事らしい。


だから、君の部屋はいつでも暖房がしっかり効いていて少し暑いと感じるくらいだ。冬は乾燥するから、加湿器もしっかりといつも動いている。



そして君は薄着なのだ。いくら暖房で部屋が暖かいとは言っても、やはり 薄着では寒いと思うのだけれども、君としては、慣れの問題であるらしい。




君と言う人は、あまり感情の抑揚がなくて、特段笑ったり、騒いだりするという事もなく、ただ流れる時間を淡々と過ごしているように見える。




君の日課はサボテンの棘を指先で軽くつつきながら、オレンジジュースを飲む事らしい。



君が言うには「サボテンは人の心が分かって、悲しそうにしている人見ると励ましてくれる」という事らしい。



それで・・・君は何か悲しい事があるのかい?という問いに君は決まって「特に悲しい事はないけれど。サボテンがすきだからつついているの」という事らしい。



淡々と毎日が流れていく。抑揚なく、あるがままに。感情の起伏もなく、ただ世界に存在しているという感じで、君とい人は時間を軽やかに泳いでいるように見えた。



けれども、それはあくまでも僕の主観であって、君というフィルターを通して見えている世界ではないんだ。つまり君が見ている世界が見えているわけではなくて、あくまでも僕が君を見た際に感じている事に留まるのである。





3:同じ世界が見えていると証明出来るだろうか?


ある程度、人は同じ世界感を情報によって共有しているらしい。それが当たり前すぎて、誰もがそれを疑いもしないけれども同じ世界が見ているという事を証明出来るだろうか?



例えば目の前に咲いている白い花は、本当に他の人から見ても白なのだろうか?



誰にそれを証明する事が出来るのだろう?



言葉で情報を切り取れば白かもしれないけれども・・・そこに強弱があるはず。本当の真っ白だと感じる人、そのように見える人もいえれば、なんとなく少し汚れた白に見えている人もいれば、少しだけ緑が入っていると見えている人もいるわけで、決して同じ白が見えているわけではないけれども、情報を言葉で区切ってやるとあたかも同じ世界を見ているかのように表現されてします。



君が見ている世界を、そのまま見てみたいと僕は思っているけれども、それは多分不可能な事だろうから。少なくとも僕が見えていない世界が、君には見えているという事を少なくとも僕は証明をしてみたかった。



それを、どのように証明すれば良いだろうか?



多分世界は、人の数だけ存在していて全ては違う世界のことなのだ。君から見える世界は君の世界。僕から見えている世界は、他の誰にも見えない僕だけの世界。



誰とも、全く同じ世界を共有する事は出来ない世界。けれども、同じ世界に存在しているという不思議。これをどのように証明すれば良いだろうか?



少なくとも、同じ世界に一応のところ存在しているという事を証明してみたいと思った。これが、僕の脳が作った幻ではないという事を僕は証明して安心をしたかった。



君という存在がこの世界に存在してないものだとしたら、それは悲しい事のような気がするから。



4:朝は終わり・・・夜は、はじまり


夜が明けて、それは一般的に世界のはじまりを意味する事が多いらしい。


でも本当にそうなのだろうか?


光が差し込む事がはじまりなのだろうか?



君は朝日があまり好きではないと言っていた。だって人は夜に本性が出るから・・・つまり、朝は仮面、夜は本物って事なのではないの?と言っていた。



そんな、ものなのだろうか?



君は「朝は終わりでね。夜ははじまりなの」とも。



僕には、やはり君の見ている世界の事はあまり良く分からなかった。





5:理解という世界


結局のところ、君の見ている世界を感じる事は出来ないわけだ。この先、永遠に僕には分かりようがないのだ。


そんな事は分かっていたけれども、やはり少しくらいは見えるのではないかという期待もあったのだ。けれど、やはり不可能であるという事が分かったのだ。



君はサボテンの棘を指先で軽くつつきながら「全く同じ世界は見えないよ。でも理解は出来るはず」と言った。



「理解?何を理解すれば良いのだろう?」と僕は途方に暮れてしまった。


そんな僕を見かねて君は言った。

「そんなに深く考え込まなくても良いんだよ。ただ、そのままを見つめてればいいの」と。



へえ、そんなものなのだろうか。



僕は言葉に出来ないけれども理解をした。適切にあてがう言葉がないから書きようがないけれども、その意味を理解をした気分になった。



そして君がまるで、概念上の存在のように見えたのだ。





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tag : 短編小説 概念 認識

2013-12-30 : 短編集 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

不動産投資物件を検討しよう




そろそろ、大きな信用の拡大をしてビジネスを一気に広げるためのプランニングが必要な時期になってきたと感じています。僕自身、最近は退屈で退屈で仕方ありませんでした。それは、会社が軌道にのって仕事がある程度ルーチンになってきたからで、ルーチンになる事は悪い事ではありませんが僕自身が率先をして誰でもが行えるくらいに細分化した業務を行うほど非効率な事はありませんし、最近の自分が行う業務に疑問を抱きはじめていました。



ルーチンの業務というのは企業の成長の度合いを見ることや、仕事の量が充分かそれ以上にあるときにしかルーチンにはならないわけですから、現在はルーチンの仕事があるという事を考えて見ると充分な成長をしていると見てもあながち間違いはないはずです。もちろん細かい点の修正はしていかなければなりませんし、核になっているビジネスはそのまま継続と拡大を目指して動かし続けなければなりません。



しかしながら、既に手の離れはじめ自立的に成長をしていく段階にまで入ってきました。これは、あと半年もあれば、自立成長をしていく組織として動いていくようになると思います。



ですから、創業メンバーはより大きなステップアップをするために、より大きな許容できうる限り最大のリスクを取る時期になってきたのだと思います。基本的には、ビジネスプランの大枠を決めてそれが可能かどうかという事は僕自身が資料を集めたり、情報を精査してプランに落とし込んでいきます。



そこで信用力の拡大を視野に入れてビジネスを展開するために、不動産物件を検討する事になります。投資物件として値上がりの期待値が大きいほど、それは担保として機能して大きな金額の借り入れを起こす事が出来ます。



投資物件として、海外法人の拠点としての投資はいづれにせよ、投資物件として失敗をしたとしも結局のところ必要になるものですから、投資が失敗しても現地法人としての機能がしっかりと果たせていれば全く問題はありません。



節税のための物件購入などバブルのときのような投資ではありません。設備投資、人材の過剰な補給などは最大限行わないというのが僕が立てた方針です。マーケティングも担当している僕としては仕事があまりに多くなり内部の処理が追いつかなくなってそれが半年以上続くようであれば、ギリギリの人数を補充するというスタイルをとっています。



なぜなら、人材の補充というのはいつでも比較的容易に出来ますが、仕事をいきなり増やす事は出来ないからです。また、明日も仕事があるという保証はありません。ですから、人を考えも無く雇うわけにはいきません。案外と少ない人数でキャパがオーバーした仕事をするという事は出来てしまうのです。対応が出来ないのなら「予約待ち」という状態にしておけば良いだけのお話しで、人を雇って機会損失を減らすというようなやり方は今の時代では不採算になるという事は目に見えています。



人を入れたところで仕事を増やす事が出来なければ全くもって不採算になるだけなのです。その人を採用する事によって集客が増えるというのなら全く別の話ですが、たいていの場合は、仕事の量を増やす事が出来る人が来るわけではありません。あくまでも、会社に入ってくる仕事をこなすだけの人が入ってくるわけですから、雇用をしたとしたら、ただ利益を圧迫するという事です。




と、話がづれてしまいました。。。



戻しますね。



不動産物件についてですが、これも人を入れるときと同じように、不採算になるだけのものでは全く意味がありません。ですから、現地で法人としてその地域でビジネスが行えるようなものにならななければなりません。今はインターネットのおかげで比較的容易に奇抜な事をしなくても利益が出せるような仕組みを得られるようになったので、それを最大限に利用をしてビジネスを広げていけたらと思います。そして、実際に土地、建物という不動産の取得によってレバレッジをかけて資金の調達が出来るように信用力の拡大をしつつ、その物件を拠点としてビジネスを世界で展開をしていきたいと目論んでいるわけでございます。



tag : 不動産投資 ビジネス

2013-12-30 : 作品作成日記 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

もう、年末ですね

風邪が治らないまま過ごしていますNORIでございます。


風邪をひいている間に、今年も1年躍進の年となった自分の会社もお休みに入りました。



僕は、なんとなく気分的にも身体の調子もあまり良くないのですが、そこそこ暮らしています。



来年にやるべき事は、また数多ありまして既に予定といいますか進行させなければならない事は既に決まっているわけでございまして、それを如何に処理していくか・・・という事とより利益の最大化を図るプランを立てるか・・・などやる事は目白押しでございまして・・・忙しい日々をまた来年も過ごそうかと思います。



少しばかり一般的な暮らしのリズムとズレた部分を是正して、体調管理も上手にしていかなくてはならないと思ったりしています。



来年はどのように過ごすのか・・・何をしていくのか・・・何に注力するのか・・・



少しばかり心を楽にしながら何かを考えていこうと思います。考える事、それを文章に起こして現実的に実際の行動とタイムスケジュールに落とし込んでいく事をしていこうと思います。




皆様、今年1年お付き合い頂きまして誠にありがとうございました。
2013-12-29 : 作品作成日記 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

学校の教科書を楽しくする必要は全くない

少しばかり体調が悪いので休息をしています。その中で、これから、より躍進をするために何を行っていくべきかという事を考えつつヒントを探していたら、たまたまネットの中に「ゲームは楽しくて、学校の教科書は楽しくない理由」というのを考えて意見をしていた中学生がいたという話がありましたので、今日はこの記事を書きます。



ちなみに、この中学生の結論は「学校の教科書は教科書を作る側が、それを受け取る側を楽しくさせようという事をしておらず、ゲームは製作者側が相手を楽しくしようとしているから楽しいものになる」というよに結論づけて締めくくっているという事です。



これは正しいと思います。中学生が、「なぜ」そうなるのかという事を真剣に考えてその事を考えているという事はとても素晴らしい事だと僕は思いました。けれども、これはそもそもの学校の教育論というところから、その役割から大変に外れてしまうという視点がないと言えます。これは中学生だけでなく良い年齢の大人になった人でも分からない人が多くこの中学生と同じ視点で物事を言っている人が多いので、「困ったものだな」と僕は内心思っています。



中学生や小学生という年齢だったらまだしも良いのですが、良い年齢の大人が「教科書を面白くしよう」と言い出すというのは本当に危ないと思わずにはいられません。




では本題に入っていきたいと思います。



まず、面白いとか興味を引き出すという事を考えてみなければなりません。でも、その際に情報とは何かという事を正しく認識しなければなりません。ここに学校の教科書がつまらなくなる理由というものがあるわけです。



教科書の役割を、まずは考える必要があります。教科書というのは、そもそも的な事からいえばこれまでの人類の叡智を正しく伝える、それを記憶してもらうという事に意味があります。



さて、ここに面白くするという要素を入れると、製作者の「主観」「感情」というものが加わるという事になります。興味、関心、というものや面白いといわれるものははどうしても感情的な部分を掻き立てなければなりませんから、それを付加して教えるという事は学校という場所に於いて不適切と言えるわけです。



正しいといわれるものを正しく伝えるという事は非常に淡々としているものであって感情の抑揚をつけてはいけません。感情の抑揚をつける、つけないという以前に、ただ正しい情報を伝えるという事をしようとすると実は、物事の時系列になるという事もありますから、楽しいというものではなくなります。



漫画が楽しくて、新聞がつまらないという事と案外と同じ構造をしているのではないかと思います。



学校の情報というのは、「そういった物事があったという事を正しく伝える」に留まらなければなりません。特に歴史などの問題になりますと、その時代の様々な感情的要因によって事実が価値感が変わってしまうのですから、学校の教育に感情という部分を付加した教科書というものを作るという事は既に正しいものではないという事になります。



ただ、そういう事実があったという事に留まらなければなりません。感情を入れてはいけないのです。感情というのは恣意的なものですし、個人的なものですからそれを公の場に持っていくという事は問題なのです。




では、興味を持てないような教科書で良いの?という事になってきそうです。これについての担保機能として、満遍なく教科を持っているわけです。個人が何に興味を持つのかという事が分からないという事もあるのでたくさんの教科があるわけで、一応のところ考え方のフレームとして、多角的に物事を見るための知識を蓄えるという事でたくさんの教科があるわけですから、「興味を持てないような教科書で良いの?」という疑問は的が外れているのです。




全員に興味が持てるようにする、面白いと思わせるというようなものを作る必要などないわけです。個人個人全てが面白いと思えるようなものを作る事は不可能なわけですし、実際に大人になったいま自分が、例えばエンターテイメントについて全て面白いと思いますか?という事の結果を見れば明らかでしょう。面白いものを作るという事を仕事にしている人がつくっているものであっても全ての人が面白いというものは作れません。それが作れるのであれば、ランキングなんてないでしょう?



だから担保的な機能として学校というのは教科があるわけです。各個人の環境によっても趣味、趣向、関心というのは違うわけですから。それに面白いと思われる教科書を作るという事自体の問題は情報に余計に主観、感情を入れることであるからそれ自体は避けなければならないという事であるという事は先に記述しましたね。



少しばかり文章的に解り辛いかもしれませんが、面白くするという事が教育ではないわけですから、最近の教科書議論に面白くするべきだという大人がいるというのは、「この国は本当に大丈夫?」と思うわけです。



2013-12-26 : 作品作成日記 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

君は君の問題を自分で解決する力を必ず持っている

人生は全て自分の責任に於いて動いているという認識が、自分の人生を変えていく事をしっかりと理解したらなら、君には自分に起こる数々の問題を自分で解決する力が備わったという事になるよ。



外部からもたらされるものも多分、確かに存在していると思うよ。確かにそういう事もあるよね。けれども、その原因の発端を作ったのは誰だろうか?自分がその人と関わったからではないだろうか?それに、自分にも何か下心らしきものはなかっただろうか。



全く自分に非が無いという事は多分ないはず。だから、やはり自分の責任なんだよ。でもね、それを意識したときに、もっと気が楽になるはずなんだよ。だって、外部から勝手にやってくる災難なんてものは無いからね。自分が決めたからそうなったという自分に由来する事なら許容出来るでしょう。



なんで、色々な事を苦痛に思うか?ってのは自分では解決出来ない外部の問題が自分を苦しめていると思うからだ。取除く事が難しい問題が外部にあって、他人の中にあって、それが自分を苦しめていると思うから、途方も無い苦しさを感じなくてはならないのだ。自分の努力ではどうにもならないところに問題があって自分はそれに対して頑張って対処をしているつもりだけれども、やはりどうにもならない中でそれを受け続けなければならなにのだろうかという事を考えるから余計に辛くなっていくんだ。



でもね、全て自分に発端があると分かっていれば、自分の行動を変えるべきだという事に気がつくよね?取除けない問題ではないという事がよく理解出来るようになるよね。



つまりね、自分の責任だと認識したとき、問題を解決する力を君自身が備えたという事になるんだよ。それに気がついてからは、もっと人生は楽しくなると思うよ。



自分が決めていく人生は全てに自分の責任の元に成り立つものになるけれども、それは決して苦しい事ではないよ。だって全部自分で決められるのだから。誰かが決めた人生の上を歩いていても辛いのなら、自分で決めた人生の上で辛い方が道理に合っていると思わないかい?



自分に責任のある人生というのは決して大きな辛さがあるものではないよ。それに慣れてしまえば、それが普通の事になるのだから。人が関与して、解決不能な問題を抱える人生より余程良いと思うよ。



そろそろ自分の責任の中で生きてみようか。それを認識したときに、君は君の中に、問題を解決する力を手に入れることになるのだから。


2013-12-26 : 作品作成日記 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

「死」と向き合う事

「死」は、まだどことなく自分の身に起こるという感覚は薄いし実感を伴わない感覚があります。しかしながら、僕は12歳の頃に実の姉が自殺をしていますから、「死」というものに直面をする機会をもらっています。



なぜ、また「死」というものを考えたのかというと、母方の祖父90歳が最近体調を崩して、「自分でも、死ぬと思った」と話していたという事を母から聞いたからです。



肉体の限界を迎えて死を迎える事は仕方のない事です。祖父ほどの年齢になると、死はそこまで悲しいものではなくなります。なぜなら、それはどうしても避けがたいものであるからです。そして、これは人間である以上は避けられないという事を知っているし、生きているという辛さもある程度分かる年齢になったからこそ、「お疲れ様でした」と言えるようになったわけです。



母方の祖父の世代がどんどんと他界していくという時期になってきたのだと、そして今度は自分の両親が入れ替わりで高齢となるのだと、ふと感じだのです。こうして、順番に平等に順番が訪れるのだと妙に実感したのです。別に、その実感に何の意味があるのかと問われれば、これに特別な意味があるわけではありません。



ただ、体験的にそれが本当に起こる事なのだという事を感じたというだけのお話です。けれども、このような事を考えるのは、自分もいづれその年齢になるという事を実感したという証なのだとも思うわけです。この実感があると、時間が有限であるという事を本当に心の底から感じられるようになると思うのです。



時間は有限であるという意識、認識というのはとても重要な事です。未来を思い煩うのではなく、今この瞬間にしている事の意味や、後に何をもたらすかという事をより真剣に考えるようになります。この瞬間に行動をした結果を得るという事も同時に意識をするようになります。未来を考えるのですが、けれども悲観的ではなく、この瞬間の行動の先にある良い結果を意識するようになるのです。



未来を思い煩い、この瞬間に何も出来なければ、良い未来が訪れる事は絶対にありえません。だって何もしていないのですから、その状態で良い未来を手にいれられるはずはないのです。この瞬間に何かを考えて行動をした事で得られるものが未来そのものです。だから、この瞬間に最善を尽くさなければならないのだと思うわけです。



いづれ自分にも訪れる肉体の限界。そのときまでに自分がこの世界に何を与える事が出来るのか?何を遺すことが出来るのか?それをもっとよくよく考えて生きていかなければと、ふと、そう思ったわけです。それ自体が結果的に、「死」と向き合うという事なのだとも感じるわけです。



人間の肉体が永遠であったとしたら、この瞬間に何をするか?という事は考えなくても良いわけですから。時間が無限にあるなら・・・



でも、肉体には限界があるのですから、限られた時間の中で何をするのかという事を考えるという事になるのですから、それは死を意識して向き合うという事に他ならないと思うわけです。




2013-12-25 : 作品作成日記 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

いま この瞬間しか存在していないという事実

人の認識は、過去、現在、未来というように一定の時間軸に沿った流れに整理して認識をしている。けれども、いづれにせよ、過去も未来も既にリアリティーを失ったバーチャル空間であるという事を気がつかなければならないのだと強く感じるのです。



事実として、いまこの瞬間しか存在していません。過去は既に過ぎ去ったこと。それは究極的には検証不能なものです。映像を見る、史実に当たるという記録を見るという行為を通してそれが本当にあったという事の証明になるわけではありません。



人の脳の中に入って合成される記憶は、余計な感情、主観がついたものになります。これは脳のメカニズムから言って避けがたいものです。それが意味づけや条件付けと言われるものであると解釈しても多分間違いはないと思います。



小説などの批評や感想に「リアリティーのある作品である」という言い方をする事があると思いますが、そのリアルをどこから感じとっているのかという事を見つめるとリアルの正体が理解しやすいです。人間が記憶したものや知っている範囲の自分の脳というデータベースの中にあるなるべく近い状況の記憶に結びつけてリアルを感じているのです。



つまりは、そのリアルは偽物です。作品にリアリティーを感じるという事はそれが真実でなくてはなりませんが、この小説の場合では、作者の脳内にあったものを見ているわけではないのですからそれは偽物という事になります。



リアルも想像でしかないという事に他ならないという事です。



ここまでのことから、リアルというものはリアルではなく想像でありそれは個人が体験した記憶になるべく近いものに当てはめて合成されているという事が分かると思います。



つまり過去というものは存在しないわけです。過去の存在は時間の概念との絡みの話になりまして、時間の存在を語る上でも過去の存在というのまだ議論が続けられていますが、しかしながら人間の意識の上に成り立っているという精神的な構造、記憶の構造というものはあるわけです。そして、過去が存在しているのではなく、私達がそれが過去にあったという意味をつけているに過ぎない状態であるという事は少なくとも言えるはずです。



では、未来は存在するのでしょうか???未来という、3年後、5年後、10年後、はたまた途方もなく時間の過ぎ去った1億年後など時間が現在よりも進んだ状態を想像する事に他なりません。けれども、未来が存在をしているという事でありません。なぜならそれは個人の意識の中で想像した世界であるからです。自分の中にある知識、記憶を合成して想像したものが未来です。けれども、未来にいくという事は出来ません。



つまり未来など存在しないわけです。そして、いま存在している自分自身が存在であり、全てです。そこに過去も未来もありません。いま現在、この時点で存在し、思考をする自分というものが存在の全てです。




もちろん記憶している過去というものはあります。しかし、それはやはりどこまでいってもバーチャル空間の出来事です。そこに戻る事は出来ないのですから、それが本当に真実であったのかそうではないのかという事は検証不能なわけです。いまこの瞬間に何かを考えて、そして話をしたり、落ち込んだりしている、笑ったりしている、いまこの瞬間しか本当のところ世界は存在していないのです。




過去というものが、いまこの瞬間にあるわけではありません。未来というものがいまこの瞬間に同時に存在しているわけではありません。どちらも各個人が持っている記憶によって合成されたバーチャルな世界でしかありません。




だから、いまこの瞬間に出来る事を考えて、最善を尽くすという事を毎日繰り返すしかないのです。一気に三年後に飛ぶ事が出来るわけではありません。タイムマシーンが例え出来たとして、5年後の未来に行こうとも、5年後の自分としてその世界で生きられるわけではありません。




あくまでも個人にとっては、タイムマシーンにのって未来にきた自分という、いまこの瞬間という現実がそこにあるだけです。どこに言っても自分は自分なわけです。そして、何かを認識している今現在というリアルタイム瞬間が本当の真実で、未来も過去も全て想像上のものでしかありません。



だから過去に縛られる必要もなく、未来に不安を感じる必要もなく、いまこの瞬間にやらなければならない事をまっすぐに行うしか生きていく術はないわけです。どのように解釈をするのかは個人によって自分で選択をすれば良いのですが、過去も未来もバーチャルであるという事実は知っておいても損はないのではないかと思います。



2013-12-24 : 作品作成日記 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

仕事・稼ぐという事に対して思う事 ~ 格差社会は良くないという主張自体が良くない

28歳である僕は本格的な過渡期を迎えたのだと思います。良くも悪くもまた変わるときなのでしょう。自分の中にある知識の体系も変わりましたし、本質を捉えた「稼ぐ」「生きる」という事を見つめる事が出来るようになりました。そして自分の足で立っていくという事を起業してからより深く学びとる事になりました。




色々とありましたが、今年もなんとか終わろうとしています。風邪は治りませんが、けれどもそこそこ回復の兆しもあるので、こういう時に今年一年を振り返って総括をしたいと思います。やはり強く思ったのは、経済的な認識の事に関してを書きたいと思います。



仕事・稼ぐという事に対しての意識

案外と「冷たい」と言われるようにもなったと思います。でも、僕が生きている場所はそういう場所ですし保証なんてありませんし、要らない労働力は要らない、文句があるのなら自分で稼げばいいという事実がいつもそこにあるだけで、それは万人に平等な事であると自覚しているので給与を貰っていて文句を言っている人を見るとやはり厳しくなります。




大抵がその人は利益を生み出す事は何もしていないからです。サービス残業が多いのに給与が上がらない・・・当たり前です。労働力にそれだけの価値がないからそうなるわけです。残業に給与がつかないのは、労働力を提供してお金を貰うという事をしている人が他にもいるからに他なりません。




文句があるのなら自分で仕事を獲得して報酬を得ればそれで良いわけです。それが出来ないから雇ってもらうという事を選択したわけですから、そこに文句を言っている人を見ると「甘えてるな」と思うわけです。




稼げなければ終わりというのが社会の中での事実です。その中で生きていくには成果を出すしかありません。こういう言い方をすると「儲け主義」と批難する人がいますが、儲けるためには人に支持されなければなりません。その支持を得るために改善を繰り替えしたりニーズを満たすという事は結果としてお金を追うだけに留まりません。




人気のない事業者、経営者ほど「お金のためじゃない、人の役に立ちたいんだ」と言いますが、僕はそのような事を言っている人のところでサービスを受けたい際に本当に良いと思った事など一度もありません。人気がないという事は人からここが悪いと指摘される事もないわけですから、日を追うごとにその事業は衰退していきます。




もっと言えば、儲からない事業、稼げない事業というのは結局のところ人の役に立っていないという結果がそこにあります。なぜなら誰も利用をしていないからです。誰も利用していないという事は役に立っていないという事です。本当に役に立っているか、立っていないかという事は事業自体の収益で図る事が出来ます。





格差社会について

格差社会と言われていますが、格差のない社会が良いと言ったらそれは社会主義のことです。なんで格差がいけないのかが僕にはさっぱり分かりません。格差ではなく努力と継続の差が格差です。いま経済的な事に関しての格差をあげるとそれとは別のように思っている人が多いですが、もっと例を出せば、今の格差社会をなくそうという運動を他の事で例えてみましょうか。




大学受験がありますね。大学受験で頑張って国立トップT大学に行きたいという人は間違いなく勉強をしてかなり多くの時間を入試を突破するために勉強をしますね。でも格差はいけないからという理由で偏差値30の人も同じようにT大学に入学できるようにします、その人と同じ扱いに強制的にしますという事と、今の格差議論は変わりません。




格差なんて当たり前です。



仕事や経済的な事に戻してみましょう。



これは具体的に自分の立場として考えてみて下さい。よく仕事場で「私より出来ないのに同じ給与なんておかしい」という文句が日常的にありますよね。




おかしいと思いませんか?




格差がダメだったんですよね?違いますか?




でも、格差を承認しているではないですか。自分がどれだけ稼いでも他の人を同じ給与でなければならないはずですよね。なのに、自分が頑張ったときには特別扱いして欲しくて、都合が悪くなれば格差社会が悪いなんて言うのはとてもおかしな事です。




それが社会という大きな枠組みでされているから、「格差社会をなくそう」という運動はなんとなく肯定的に捉えられていますが、よくよく考えて下さい。この不条理さ。格差社会が悪いという議論のいきつく先にあるのは、努力しても報われない世界です。それなのに関わらず最近の議論では全て良いとこ取りをして都合の良い事をさも当然の権利のように主張しているという浅はかさ。




努力が報われない社会はおかしい と言っておきながら、「格差社会を無くそう!!」と声を張り上げて、あたかも被害者のような顔をする。そして、「収入の高い人から税金を取って私達の生活のためにお金を回せ」と騒ぐわけです。







【今年1年の感想】
本気で生きていこうと思うとかなり辛いのだという事が分かりました。それは自分が生きていくお金を稼ぎ、衣服住に不自由しないものを自分で賄うために事業をして自足で生きていくというのは本当にしんどい事なのだという事が身に染みて分かりました。




自分が厳しくなったとう言い方をしていますが、実は厳しくなったのではなくて起業をしてから経営者・事業者として生きていくにあたっての垣間見た事実をただ喋ると相手から厳しい聞こえる言葉になるというだけで、でもこれが独立起業をして僕が見た社会の事実です。




自分で稼げるのなら、自分でやればいい。それが出来ない、若しくは出来ても独立起業の方が辛いから就職をする。実際僕の周囲に何人かはいました。独立起業をしてある程度うまくいっていたけれども、あまりに苦しくて、事業をたたんで就職したという人。彼らは収入に文句を言いません。なぜなら「自分でやっているときは給与に保証なんてないから、今なんて楽だよ」と笑っているわけです。




今就職している場所が辛いけれども、辞めたらお金がないし、起業をしても上手くいくか分からないから会社は辞められないけれども会社が辛いというのは、ただの甘えです。それ以外の何者でもありません。会社が辛いと思うのなら、自分で独立をすれば、独立した方が、かなり辛いという事が分かると思います。確かに会社では怒鳴られたり、クライアントからは怒られたりするかもしれません。




でも、独立起業したって、それは変わらずそこにあります。上司というものはいなくなりますが、最近話題のブラック企業で働くという以上の辛さになる事なんて珍しくありません。




どれだけ辛いところで働いているとは言っても、結局のところ独立起業をしてしまった人から見れば給与が保証されているのだから仕方ないでしょ? 「嫌なら辞めればいい」というだけの事ですから。




ただ僕は本当に自分が恵まれていた部分で独立起業向きだったところがあります。就職をして学校などのように嫌いな人ともやっていかなければならないという人間関係は僕には耐えられないのです。僕は元来から指図もされたくなければ、上から文句を言われる事も好みません。




そんなところにいるくらいであれば、金銭面で辛い部分が少しばかり続いても、独立起業の方が良いわけです。この先、僕は特定企業に就職をするという事は絶対にありません。何か新しい事業を立ち上げる事はあっても絶対に就職をするという事はしません。




なんだかんだと言っても、結局のところ自分の人生は自分で決めたいですし、自足していきたいし経済的な独立をしていたいからです。そう思うから責任もあるし、その代償もリスクも支払うわけです。





でも、これが自分の人生なのだと思うのです。





tag : ビジネス

2013-12-23 : 作品作成日記 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

まさかの風邪・・・:(;゙゚'ω゚'):

久しぶりに長引きそうな風邪をひきました:(;゙゚'ω゚'):




少し動くとふらふらしますし、鼻水はまるで滝のように・・・・





耳もなんか詰まっている感じで。。。 ( >д<)、;'.・ ィクシッ





クリスマスなんて・・・もう考えられないくらいに体調が悪いです。





これでクリスマスなんかに外に出た日には、悲惨な事になる事は目に見えているので・・・





まあ、キリスト教信者ではないので・・・本当のところは僕にとっては普通の日なのですが
世の中はクリスマス雰囲気に酔いしれているというわけでございまして(;^ω^)




僕は僕で仕事でもしながら静かに風邪が完治するのをおとなしく待とうと・・・なんか若干
わびしいクリスマスのような気もしますが、しかしながら師走で相当お金が流出していった
わけですから・・・まあお財布の休息って感じも良いのかなと思ったりしています。



2013-12-20 : 作品作成日記 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

世界が消えてしまう前に

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キレイなままで、時間が止まってしまえば良いのに・・・と誰もが一度は思った事があるはず。




でも時間は止められない有限なもの。




だからこそ、時間には価値がある。




手に入れる事が出来ないものほど、それは美しい。



tag : 恋愛詩 恋愛

2013-12-11 : 恋愛詩 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

2月までに 法律文章を書き上げなくては・・・・:(;゙゚'ω゚'):

2月までに随分と大きな法律文章を書かなくてはなりません。かなり細分化したがっちりとした法律構成が体系的にしっかりとしたものをまとめなくてはなりませんので、そこそこのリーガルリサーチが必要になりますから大変だなぁ~と感じています。




法律文章の作成は、やはり専門分野のことになってくるので、そもそも法律の勉強をしていたとしても実際の生業としてそれを行っているわけではないので、やはり時間がかかりますし法律文章作成の実務に就いてつまりは法律事務所などに所属して行った事はないので、やはり甘さや、実務的に関係ない文章なども作ってしまったりと何かと不備が出てしまうものです。



けれども、出来うる限りの文章を作成してなるべく事前に法的リスクを最小限に出来るような法律構成を検討して、そのような論証に耐えうるものにしなくてはならないと思っています。



2週間くらい、それをやっていれば多分完成するとは思いますが、リサーチをする部分がかなり多いのも事実ですから、少しづつでも、やっていかなければならないと思います。


tag : 法律文章 法律実務 契約書作成 リーガルリサーチ

2013-12-10 : 作品作成日記 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

日々 songed by 吉田山田 





HIV抗体検査をするときというのは、それまでの性交渉でどれだけコンドームをしていたとか、出来る限りの自己防衛をしていたとしても、やはり不安になるものです。性行為、オーラルセックスがある限りは、可能性はゼロではないからです。宝くじ並みの可能性であったとしても、人間の感情としてはネガティブなほうを想像しますし、そこには恐怖感がありますから、最悪の状況を想定してなるべく開き直るわけです。




その時に病院の待合のテレビで ふとした瞬間に流れていた曲です。あまりに良い曲だったので、それが流れ終わったときにアーティスト名をすぐにメモしました。メモまでして「もう一度、聞きたい」なんて思う曲というのはあまり無いと思います。しかもNHKの「みんなのうた」で流れていた事に驚きです。




ちなみに、僕と同じようにNHKで聞いて、それから反響が大きいそうです。その記事がマイナビニュースに掲載されていました。
↓↓↓
http://news.mynavi.jp/news/2013/12/03/462/




そう言えば、短編(ショートショート)をこのブログで書いたときに、「おばあさんを名前で呼ぶおじいさん」のものを話を書いたなって思いました。一見すると彼らと僕の書いたものは反対の設定なのですが、結局のところ同じ事を考えてかいているのだろうと思いながら、その優しいメロディーに心が切なくも温かく震えたのです。




ちなみに、HIV抗体検査の結果は、陰性であり異常なしという結果で「ほっと」しています。
(僕の場合は神経質すぎるくらいに神経質であるという事がありますので、人数が多いとかそういう事ではありません。もっと言えば、セックスする人数が多い少ないという認識ではいけません。遊んでいる人がなりやすいというだけであって、性交渉がある以上は全ての人に関係のあるもので、健康な男性女性であれば無関係な人は絶対にいませんから気をつけて頂きたいと思います。)




この歌を聴きながら、考えていたのは、この歌のように異性間が幸福になるための信頼関係の中に性病はないわけできっとそこには幸福なセックスもあったわけで、子どもも生まれているわけです。そして、その幸せばかりではないけれども、二人で生きていくという時間を重ねていく中で温かい確かなものを確信しながら、最終的に老人になって、それが幸福なのだと・・・時間は有限であるという事を実感を込めて感じる年齢になったからこそ、それが温かくとても幸福であったと言える静かに静かに流れる時間の中に身を委ねる人生をまっとうして目を閉じる瞬間をなんとなく意識して幸福を噛み締める時間。




でも、この二人が幸福に異性愛を出来たのは、そこに性病というものがなく、ある種、普通と言われる異性愛の関係があったから、このようになる事が出来たという事です。




僕はこんな事を考えていて、このような関係になるために、自分の身体、感染症にやはり少しばかり神経質なくらいになった方が良いだろうと強く思ったのです。




事例としては、妊娠をした際に女性は血液検査で必ずHIVの抗体検査もあります。その際に「自分がHIVに感染していたという事を知った」という事例があります。その女性の場合には、旦那である男性がHIVでなかったとしたら自分が過去に付き合った人々の中で感染をしていたという事が分かるわけです。




HIVのウィルス自体は感染力自体はそこまで強いものではないので、コンドームをしないセックスをしたからと言って必ず感染するというほど強い感染力はありませんので上記のような例も起こるわけです。淋しい話ですが、これで離婚しましょうって言われるかもしれないというのは仕方のない事ですよね?




それって、新しい命が出来て、いまから 「お母さん」「お父さん」という自分になるという時に、とっても悲しい事ではないでしょうか?でも、それを意識しなかった自分が悪いわけです。だって、誰があなたのセックスを止めたり、今日は良いよというよな事を制御してくるのでしょうか?自分の責任なんですよね




データで見ると女性のHIV感染が多くなっている事が多いと思うのですが、これは感染経路からして当然のことなので、男性が風俗で遊んでいて感染している人数が多いわけではありません。男性が異性との遊びが多くてそうなるという事でもありません。異性遊びというのは現代の状況からして、どちらにも大差がないでしょう。でも、その際に女性の方が感染が多くなるのは当然と言えば当然です。




HIVというのは粘膜感染です。膣分泌液、精液、血液感染がセックスにおける感染の経路となります。唾液にもウィルスは入っていますが感染力が弱いので、唾液の量程度では感染が起こる可能性はありません。ですから、オーラルセックスでは感染しないというのが定説です。ただオーラルセックスでも性病にはなりますから、その点は勘違いしないで下さいね。




それで、粘膜感染の事を念頭に於いてセックスの事を考えてみると女性の方が感染する確率が高いという事が分かるはずです。妊娠をするためには、男性の精液を女性の膣で出すことによって受精をします。その際に男性がHIVキャリアであった場合に、ウィルスが多く含まれるとされている精液を女性は全部を粘膜で受け取る事になります。




それに対してHIVキャリアの女性と男性がセックスをした際の粘膜感染は、尿道以外にありません。男性の場合には女性の膣分泌液が粘膜から吸収してしまう部分が尿道以外にないので、女性に比べてかなり身体から分泌される体液と触れる事が少ないわけです。




しかもHIVはすぐに自覚症状が出るわけではありませんから、意識の低い男性のキャリアが「自分はHIVではない」と思って恋愛を繰り返す事によって女性の方が多くなります。女性ではキャリアの男性と妊娠するためのセックスをした場合には、感染率は高いです。でも、反対に上記に述べてきたことの立場をひっくり返してください。男性の場合はHIVキャリアの女性と妊娠をするためのセックスをしても、そもそも粘膜が隠れた尿道しかありませんから感染率は低いわけです。




だから女性の方が感染が多くなるという構造が成り立つのです。よく女性の意見で男性の風俗遊び、異性関係の多さが問題として批判されているものがありますが、それ自体があまりよくセックスという事や、セックスそのものを認識していないという事を表れであると言えます。




ちなみに同性愛、特に男性同士の場合のHIVの感染が多いという理由はお分かり頂けるのではないかと思います。精液を相手男性の身体(腸)ないに発射をするからです。そこから女性と同じように身体中に精液が残されるから感染率が高くなるのです。




女性にはセックス・恋愛だけに感心が高く、それに伴うリスクも知らず責任の事も考えずに男性の性というものを批判もして欲しくないと思います。でも男性である僕が男性を擁護したいわけではありません。ただ、こと性の問題がからむと男性が批判されがちな意識が大きく、女性には問題がないというような言われ方があまりに目にあまるので、このように敢えて書いています。




ただ、間違いなく言えるのが男性も女性も意識が低いのが現状です。男性の女性も、どちらもよく考えて下さい。男性も女性も。性的な事になると男性の責任だけに転嫁される事も多いのが現状です。どちらの意識の低さも問題であるという事を考えていかなければならないのです。




ちょっと、長すぎますが良い機会なので再びこのような事を書きました。下記からは、吉田山田の歌のような異性愛の関係性の記述に戻します。




案外と誰もがこの歌ような温かい関係を望みつつも、一緒にいる異性1人をその瞬間に決めたつもりになっているのにも関わらず人間の欲望というのは留まることがないわけで、落ち着いて相手を意識しないけれども、確かにそこにいるという状態を、「トキメキがないとか」、「冷めた」とか 言ったりするわけです。そして新しい恋愛を見つけて「切ない」「ときめいている」という遊びをはじめるわけです。




結局、「ときめき」という脳の興奮状態を追い求めている状態でのぼせている状態を求め続けて、その状態で感じる「ときめき」を愛だとか勘違いをしているうちは、この歌のような関係性は絶対に掴めないという事だけは絶対に間違いありません。




この歌のような異性との関係性を築いて最終的にこんなに素敵な老人になりたいのなら、「ときめき」というような脳の興奮状態が覚めた後に、「やっぱりこの人だな」としみじみと思えるような関係を互いに努力して築いていくしかありません。ときめきというような脳の興奮状態は、この歌のような関係性を築くためのキッカケでしかありません。このような関係になりたいのであれば、この歌のように幸せばかりの日々ではないけれど一緒にいるという事を積み重ねて、その中にある幸福を二人で見つめていかなければ絶対にこのような関係性を築くという事は不可能です。




本当に好きなことをしていても、それひとつをやり続けて向上していくという事はとても難しい事です。ひとつの本当に好きな事でも、毎日際限なくそれが出来る環境を作った途端にそれは色褪せるものです。でも、それが出来る人たちがオリンピックに出たり、偉業を成し遂げたりするでしょう???




人間関係もそれと同じです。




手に入れたら終わりじゃないんです。そこからが勝負です。それが出来るから最終的に良い結果を得る事が出来るわけです。




人間関係だって、そういう事です。このような温かい最終的には「この人で良かった」と思えるような人間関係を築くというのは並大抵のことではなくて、でも、なんだかんだと言ってその人と喧嘩をしても、嫌な思いをしても一緒にいたら「やはり良い事もある」という事を積み重ねていくからこその関係なのです。




いま一度、どの年代の方にも、もう一度「性」というものを考えて頂きながら、恋愛、性別、セックス、幸福、夫婦、家族というものを考えて頂く機会にして頂ければと願ってやみません。




また、お子さんがいる僕と同じ年齢くらいの30~37歳、若しくは小学校6年生~20歳くらいのお子さんをがいらっしゃる方々には、お子さんにこれくらいの性的な事を語って頂ける様になって頂きたいと思います。




相手を妊娠させたら、もしかして妊娠したらどうする?というような責めるようなことではなく、異性とセックスを含む遊びをするにしても、性病のことをしっかり考えられるようにして頂きたいと思います。セックスを含む異性交遊が悪いという考えでいる方もいると思いますが、あなたは自分が若いとき、働き盛りの現在で、性衝動や下心を全て排除できる人間ですか???そうでない事が普通であるならば、遊びにも責任が伴うという事を男女どちらのお子さんをお持ちであっても、性というものをお子さんに語って頂きたいと思います。




結局のところ人間的に思いやっているというのであれば、このようなリ性感染症リスクがあって、それにならないように対策をするという事を出来るはずです。それが出来ないようであれば、やはり誰かを本当に好きなんて事は言えないんです。




ただセックスがしたいだけ。。。
ただ、ときめきたいだけ。。。




それを恋愛という言葉に置き換えてキレイにして、実際の生々しいセックスがある、性病がある、という現実から目を背けて自分とは関係ない、自分の子どもには関係ないというような事に絶対にしないで下さい。




また、機会を見つけてせっかく恋愛の事を書き出したブログですから、そのような事を定期的に書いていきたいと思います。このような性的な事実を書いた記事で気分を害するというような事であれば、恋愛などして頂きたくないと僕は本気で思います。社会や自分の周囲に迷惑をかけて責任とらない、もっと言えば取り返しがつかないという事になるからです。




性的交渉があってHIV抗体検査を一度も受けた事がない人は近々受けて頂けたらと切に願います。あなたの大切な人を自分が傷つけてしまうという事がないように、安心して妊娠出産が出来る未来を守るために必ず、そのようにして頂きたいと思います。




献血で調べようという馬鹿な事は絶対にしないで下さい。献血では教えてくれません。必ず近くの保健所や病院の血液検査を申し出てください。病院でのHIV抗体検査を自費となり保険は使えませんから、お金をかけたくないという人は保健所に問い合わせをして受けるようにして下さい。ちなみに僕は自費で病院の血液検査で受けています。





かなり長い文章になってしまいましたが、これくらいに僕自身が本気で考えているという事で、これは他人事ではなく、健康な人間である以上は恋愛に付随してくっついてくる問題であると思って頂きたいのです。そして、これを本気で考えて大切な人が出来た後に、吉田山田の歌のような人間関係があるのだという事を、幸福があるのだという事を知って頂きたいのです。





もちろん何かに感染してしまったからと言って、それが不幸であるとは言いません。けれども未然に防げるものであったのに、それが出来ないから、より困難な状況になったとか人に迷惑をかけてしまったという事を背負って生きていくよりも、心から健康的に、セックスも楽しい、子どもが出来て嬉しい、最終的に良い人生であったという方が良い事は比べようもないと思いませんか?




僕はそう思います。本当に大切な人が出来たときに手を伸ばせない自分になっているのもいやですから、性的接触がある場合には出来うる限りの事をします。それがマナーですし大人だと思うからです。そして、それが例えば長い間一緒にいる人ではなくて若いうちの気の迷いなどで生じた事だとしても、その瞬間に合意があってそれを行うのであれば自分もその相手を嫌いなわけでなくむしろ好意があってそれをしているわけですから、やはり迷惑をかけたくないですし、自分も迷惑を被りたくないですし、自分がその人に憎悪を持って後悔して生きていくという人生では勿体ないと思うので恋愛も本気でリスクを考えていく必要があると思っています。




本当に長い記事なってしまいました。そうHIV抗体検査は受けてみると色々と考える機会をあたえらるので、もう一度、しっかりと考えるという事をする機会としてHIV抗体検査を、性的交渉があるのに受けたことのない人は受けて頂きたいと思います。




tag : 恋愛リスク 性病と恋愛 セックスと恋愛 性教育

2013-12-10 : 恋愛のリスク 性病 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

中高年のHIV感染の増加から見える 自己責任感覚の欠如

このブログに「恋愛リスク」というカテゴリーがあります。これは恋愛と言った際に、必ず出てくる性的交渉に伴う性病(STD)について書いていこうと思い、作ったカテゴリーです。




性愛について、つまりセックスやエッチと言われる類の事に関してタブー視をするという事はありません。その一方うで元来神経質の面があるので、性病(STD)、HIV(後天性免疫不全)、クラミジア、淋病、梅毒、肝炎などについて他の人よりかなり気にしているほうです。




その結果として、定期的に血液検査をします。その際にはHIV抗体検査も合わせて行います。その際に感じるのはHIVという言葉を出しただけでも、医療機関の人間であっても一瞬間が開きます。少しばかり驚いたような顔をしたいのを隠しているという雰囲気は伝わってくるのです。




案外と僕はスタンダードな感じでHIV抗体検査をするという事を捉えているのですが、日本国内の社会一般的な認識というのは医療機関従事者であってもこれくらいなわけですからあまり意識的に高い方であるとは言えないというのが現状だという事が浮き彫りになっています。




その一方で、恋愛に伴う性病感染リスクについての認識の低さが伺えるのが中高年の「何歳になっても恋愛を」というような風潮もあり、中高年が恋愛を楽しむというような雰囲気が最近は特段珍しい事ではなくなってきました。ただ、これに伴って、年間のHIV感染報告が若年層ではなく中高年の割合が上回ったそうです。




ここに、最もモラルを持つべき現在社会のトップにいるはずである人々のモラルの低さ、自己責任の無さという事が反映されていると言う事ができます。自由恋愛などと言ったりするのは特段かまいませんが、勝手に恋愛をしてセックスをしておいて、そのケアをせずに感染を広めていくという無責任さ。




既婚者であれ、中高年であれ人間であれば恋愛をして性的交渉を誰かと持って良いと思いますが、それに伴う責任を最低限果たして欲しいものであると思わずにはいられません。




イマドキの若者は・・・と言う世代がこの有様なわけです。恋愛は自由だとか、恋する心みたいなものを語るのは大いに結構ですが、それに伴う責任というものを認識出来ないのであれば、その資格さえないわけです。




僕は同性愛、異性愛などの偏見は特にありません。また、風俗などに関しても特段偏見はありませんし、そこで遊ぶ男性、そこで働く女性に関しても偏見はありません。




しかしながら、しっかりとリスクを認識出来ないのであれば、それをするに相応しくないという事が言いたいわけです。しかも現在、それに最も遠い位置にいなければならないはずの社会的には働き盛りの中高年に蔓延しているというのは結局のところ、指導的で模範的な立場になるべき中高年という人々のモラルの低さを示すものであると言えるわけで、従って若者のモラルなどを指摘している場合ではなく模範になるべき層がダメな状態であるから益々まずいといえるでしょう。




自由恋愛という点に関して何かを言うのは結構ですし、セックスを楽しむのも大いに結構なのですが・・・。中高年のHIV感染の増加を聞いて、自己責任、責任というものをとるという事を知らない人が社会の働き盛りと言われる人々であると思うと、それに育てられた次の世代を担う若年層がダメになるのも納得するしかないという状況であると溜息が出ます。




しかしながら、現在の中高年の時代的背景としては性感染症などが大きく騒がれた時代でもないですしバブルの時期でもありますから、異性関係の遊びというのも派手に行って大いに遊んだ人も多いという特徴もあります。どことなくタブー視されつつも、繁華街などでそのような性的な遊びがタブー視されたという時代ではないはずです。




時代背景から見るにしても、バブルの活況もあり性にも開放的であったのは現在よりも、現在の中高年の世代であると僕は分析をしています。けれども、そこに自己責任などの観念は現在より欠如しています。当時の若者が現代の中高年です。




それが自分の好きなように恋愛をしても良いんだ!!と主張しているのにも関わらず、そこにある性交渉のリスクである性感染症の事を認識しておらず、さらには責任もとらないというお粗末さなわけです。




恋愛をして「切ないです」「泣きたいです」「すっごく彼の笑顔が幸福です」なんて、それを楽しむのは大いに結構ですが、若年層にしろ、中高年にしろ、大人なわけで理性、知性を備えているはずですからリスクを認識した上で恋愛を楽しんで、その責任を負うという事を考えて頂きたいと思うのです。




恋愛と言えば、キレイで良い響きなのですが、けれども結局のところは、下半身のお話です。子孫繁栄のプロセスに組み込まれたものを人間が知性を持った故に概念形成をして作ったキレイなものが恋愛なわけです。しかしながら、夢のない言葉で言えば生殖行為です。




最近の風潮では、「恋愛はいつまで出来る」とか「恋する心は止められない」と言ったりして衝動的感情論を全面的に肯定してそれが人間であり自然であるというような風潮を作りだしていますが、本能を理性、知性というもので抑えるとか、それが性的衝動であるならばマスターベーションでとりあえず満足をするという事でおさめて周囲との人間関係を壊さないようにしてきたのが理性のある人間です。しかし、現代では本能の赴くままに動物のように頭で考えないで我慢もせずに「いつ生殖行為(恋愛)をしてもいいじゃない!!」と言っているのと変わりがない状況なわけです。




全く無責任な話で、セックスをする相手のことなど全く考えていないわけです。それで「恋愛」や「人を恋する気持ち」なんて言われた日には、「はあ?」と首を傾げたくなるのです。




よくよく、考えてみて頂きたいと思います。恋する気持ちが止められない人は、自分が健康であるか?セックスをする相手に感染症をうつす事はないかという事をしっかりと調べた上で本当に安全で相手に性的満足を与えられて心から楽しめるという状態で性的行為を行って頂きたいと思います。




なぜなら、それが大人であり、相手を思いやるという事であり、責任であるからです。それが出来ないのならば、そのような事を言う資格などありません。


2013-12-10 : 恋愛のリスク 性病 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

また時代が変わる ~ 各個人が自分に起こると予想していない不測の事態を解決出来る状態にする事が実店舗が生き残る道である

テクノロジーの進化が早く、それが実用化されるまでのスピードが驚くほど早くなっています。特にデジタル系の技術の進歩は早すぎるくらいです。




僕自身はタブレットPCの普及という点についてはとても懐疑的でしたが、スマートフォンの普及とタブレットPCの普及を見ているとネットの活用の有り方が変わっていくのだと、そう感じる今日この頃です。




今までは、限定的だった外出先でのネット利用が、大幅に変わり、即座に各個人がその状況に合わせた検索をして、お店を探したり、目的の商品が売っている場所を探すという事をタブレットPC、スマートフォンを通じて行う事が一般的になってきましたからWEBマーケティングの視点がひとつ追加されることになるだろうと思います。




今までは、ネットを通じて何かを購入するという事に限定されていた感じがありますが、これからは、それに加えてリアルタイムに動いている人々がどのような商品とサービスをその場所で求めているかという事までもが追加される事になったのだと思います。




その個人の状況という事が問題で、その個人自体も想定していなかった事態を解決出来るような情報が必要になるという事です。ですから、WEBマーケティングに於いて考えなければならないのは、その時間帯にその場所にいる人の大まかな属性を観測しなければなりません。




あるA駅があったとしましょう。そこはビジネスの中心で、総合駅でもあると仮定しましょう。その際に、各個人に生じる不測の事態を列挙していくと少なからずニーズがあるという事を理解できます。また、その人々は店舗側からすればリピーターになる可能性は低いですが、その瞬間に解決したいというニーズを持っているので、その点のマーケティングに成功すれば日々各個人に生じうる可能性のある不測の事態を解決する商品やサービスが一定数売れ続けるという事を意味しますから、既存のリピーターのお客様に加えて価格競争を全く考える必要のないニーズを獲得する事が出来ると予想できます。





上記の例の具体例ニーズを少し考えてみましょう。
総合駅というのは大抵の場合が重要な中継地点になります。遊びにしろ、ビジネスにしろ、ほぼ全ての属性の人がそこに存在するという事になるでしょう。




最もはじめに行わなければならないのがターゲットをどこに絞るかという事です。このターゲットを絞るというのは、各個人も予想していなかったその場で解決しなければならない不測の事態という事です。




かなり特殊な事柄に絞ってみても良いわけです。総合駅にはヒールの女性が数多くいる事でしょう。また、かなり高価なヒールを履いている人もいて、ヒールのかかとが折れるという不測の事態が生じうる可能性があるわけですし、多分総合駅であれば毎日そこそこの女性がヒールのかかとが破損するという経験をする事でしょう。





そしてそれが高価なヒールであれば破損したかかとの部分の修理をしたいというニーズもあると予想する事が出来ます。つまりこの場合にターゲットというのは上記したことをまとめると、高価なヒールを履いていて、かかとが破損してしまったけれども、そのヒールのかかとを今すぐ直したいと思っている女性というターゲットになります。




このような緊急性を備えたニーズを如何に獲得していくかが、これからのタブレットPC、スマートフォンが普及し尽くした時代に突入した際に重要になってくると思われます。来年の今頃(2014年の12月頃)には、その点に配慮した実店舗が出現し売上げを劇的に改善して経営状態を持ち直す店舗が続出するであろうと思われます。




インターネットでの買い物が普及した状態ではこれまで実店舗はコスト面で無駄が多くネットでの物販にかなわない状態になっていました。しかしながらネットがさらに各個人のリアルタイムに近くになるという事で、これまで労働力コスト、店舗コストなどの面から不利になっていた実店舗が蘇るという状態が起こり得るという事が想定されます。これは各個人が予想もしていなかった事態が生じる事によってあるサービスや商品を即座に手に入れて対応しなければならないという状態が起こるという事を想定した商品やサービス対応を出来るようにしておく事でネットでの販売業者との価格競争とは全く別の次元で戦う事が出来るわけです。





ここで緊急性という内容も即座にそれを解決したいというニーズに変わったという事に留意する必要があります。つまり、小売をしている実店舗は、どこで買っても同じ商品を売っているわけですから、ネットの物販にはかないません。即座にそれを解決しなければならないという緊急性が高い、時間的には30~50分で解決しなければならないという事に対応するという事以外に生き残る道は残されていないと考えれます。




「ムダ毛の悩みを解決する」とか、そのような緩やかな緊急性ではないという事に留意して下さい。





つまり、その場所で即座にニーズを満たさなければならない迅速性という面に関してはネット通販の業者では対応が不可能です。ですから、各実店舗を持つ経営者は、この点に配慮をしてインターネットに於けるダイレクトレスポンスマーケティングの形を考えていかなければなりません。




けれども、その対応を考えるにはかなりの労力が必要となります。かなりの情報量をネットサーバー上にアップロードして検索エンジンから認識される状態にしておかなければなりませんし、数が少ないけれども緊急性の高いニーズを獲得していくという事ですから、より多くの個人の状況を想定してサイトを作成してすぐに発見してもらえる状態にしなければならないので、それらのニーズを捉えていくためにはかなりネット上のデーターアップロード作業が事業者や実店舗を持つ経営者に課せられるという事になります。





ただ、それを面倒に思わずに、自分の経営している店舗の周囲にどのような属性の人がいて、どのような不慮の事態、不測の事態が各個人に起こる可能性があって自分のビジネスが何を解決出来るかをしっかり見つめて、その情報をどれだけ多くサーバーにアップロードが出来るかが、実店舗の経営を安定させたいという人々が考えなければならない事柄であるという事は予想に難くないのです。





tag : ビジネス マーケティング 実店舗の経営安定

2013-12-05 : 作品作成日記 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :
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