永遠の定義 ~
「それは解釈の仕方だけの話だろう」と僕は言い彼女は「もちろん
その通りだけれども、例えばタイムトラベルの理論の事を考えてみ
て。あれが不可能と言われる根拠には宇宙の全てに当てはまる質量
保存の法則を覆してしまうからよ。物質は変化によってその形を変
えるけれども、だから永続的に同じ形をしていられないけれども、
それを構成するものはずっと宇宙から無くなる事はないわよね。」
と疑問を投げかけるのだ。
これに関してはどこを出発点として定義するかで永遠はあるという
事にもなれば、永遠は無いといえる事になる。
まず、はじめに何を起点として永遠を定義するかによって、変わ
ってしまう。けれども、彼女と僕は、特段定義をして話す事をしな
かった。
学術の場所にいる人間が議論をする際に、これほど愚かな事はない
という事を知っていての事だ。敢えてそうしているのだ。
なぜなら、これが彼女と僕の共有している世界であって、それを接点
としてコミュニケーションをとっているし、最高の遊びでもあるから
だ。
互いに、「永遠はあるか?」という疑問を提示した再に、肉体や物質
が同じ形を保っていられるのか?という事を話しているのか、もしく
は、物質を構成している最小単位のものまで消失してしまうのか?それ
とも、もっと精神的な、例えば「愛」の永続性についてを言っている
のか?など、どこを基点として話すかを決めれば、永遠は解釈上の問題
であって、実際の物質に関して言えば最小単位の構成要素から見れば
永遠は存在していると言えるという事を勿論理解をしている。
普通の一般的なカップルとは違うかもしれないが、彼女と僕にとっては
ロマンチックなひと時であるのだ。
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僕は元々は文系で理系ではなかった。彼女も文系だった。僕は大学院
までは法律を専攻していたが、結局のところ社会の構成という事に興味
を失い、それよりも「繰り返される」というその世界の法則性に興味を
持つようになり、世界の最小の構成単位である素粒子に興味を持つよう
になり、物理学を専攻しPh.Dを取得した。その素粒子の研究の中で僕は
リーマン予想の数式を知る事になり、まるで関係ないと思っていた数学
と素粒子物理学が同じ法則によって支配されているという事を立証した
くなり、又、そんな理論が本当にあるのなら宇宙が何たるかを知ること
が出来ると期待に胸が高鳴り今ではすっかり数学にどっぷりと浸ること
になったのだ。
一方、彼女は哲学専攻をし大学院に進んだ。それから哲学だけでは、この
世界の事は理解が出来ないという結論を出し、もっと世界を理解したいと
いう理由で留学し数学を専攻した。
数学はとても哲学的だからだ。素数分布が示すのは全てを統合する万物の
理論があると言われている。いわゆるリーマン予想の事だ。
彼女が立証したかったのは永遠なのだ。そして彼女は永遠を球体であると
した。全ては円を描く。それは抽象的だけれども、一つの物事のサイクル
もそれは結局は円を描いていると言っても良い事である。
そのように全ては円、若しくは質量を持った球体になると彼女は立証
しようとしているのだ。そして永遠は円であるか若しくは球体であって、
そこには全ての物事を統合する万物の理論があると考えたのだ。
結局、目指すところは二人とも万物の理論なのだ。どこの議論から出発
したとしても、結局最終的に皆が辿り着くのは宇宙全て説明する事が出来る
理論であるから、そこに向かっているのだ。
それを知っているからこそ、彼女と僕は議論の出発点を決めないのだ。どこ
からアプローチしても、究極的に議論を続けていけばどこかに交わる点がある
という事を互いに意識しているからだ。
こんな途方も無く、ロマンチックな議論を繰り返す事で彼女と僕の心は統一
概念に向かっていく。いづれ心が溶け合って、まるで一つの球体に戻るかの
ように全てが理解出来るようになるかもしれない。
理論として統合出来なくても、体感的には統合理論を僕と彼女は精神的に
知りうる事が出来るかもしれない。ロマンチックな二人の世界の中で体感的に
万物の理論を体感出来るかもしれない。その日が来たら、きっと二人は永遠を
もっと深く理解出来るようになるだろう。
だから、彼女と僕は、途方も無くロマンチックな議論を続けていくんだ。