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tsuji ( 辻 ) song by rice



最近は行政書士の速聴の音源を製作して3~8倍速で、そればかり聞いていて
音楽を聞いていませんでしたが、やはり聞きたくなるものです。
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2011-09-30 : 音楽 : コメント : 2 : トラックバック : 0 :

帰ってきたら日付が変わっていた・・・

 自宅マンションに帰ってきたら既に日付が変わっておりました:(;゙゚'ω゚'):
なんてこったい(;´∀`)

 何をしていたかと言いますと、イベントに出るので、会社の折冊子を作成
していたら・・・まあ時間がかかって、明日には、というか今日には出稿しないと
ならないので、作成していたわけです。。。

 最近コツも分かってきて、デザインは随分と素人の範囲から抜けてきた
感じがありますが・・・写真素材が大変です(; ・`д・´)

 自社で撮影するにしても、買うにしても、フリーで探すにしても
結局、どれも大変です・・・。やはり、何か作成するって大変だと
身に沁みて実感をしております。

 でも、明日の出稿には充分に間に合うので、一安心です。
ひとつ解放された気分に浸っております☆☆☆
2011-09-30 : 作品作成日記 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

ニュアンスって大事・・・と刑法 刑事訴訟法など国家権力など・・・Σ(; ̄□ ̄A アセアセ

 少しだけ昔の事を思い出しまして。。。
薬の過剰摂取とか、そんな事が身の回りにあったな・・・と。
精神薬などの医療機関から処方箋を出されて受け取る手の
薬も、精神的な不安定から過剰に一気に大量に飲んでしまう
ことがあるということを目の当たりにしました。

 あれも飲みすぎなど、処方を守らないとかなり怖いものです。
いわゆるOverdoesと言われる、その行為自体もある主の精神的な病と
言ってよいものです。

 自分の目の前で、そのようになっていたわけではないのですが過去に
お付き合いをした方が精神的に不安定で、どうにかならないものかと全力
で向き合いましたが恋愛感情もあったので客観視をすることが出来ずに、
自分自身が参ってしまい、その後、関係の破綻のショックもあり、自分自身の
意味づけを無理やり、その彼女と向き合う事にしてしまっていたため、関係の
破綻から自分自身が不在の、自分という個が不存在となった精神構造に
なってしまいました。

 これは前置きで次からが本題なのですが、とある方に最近メールを
書いたときに僕は医薬品の事をmedicineではなく、drugと表現しました。
僕の頭の中ではInvestigational DrugやChinese Herbal Drug
というイメージが強かったためです。
 
 しかしながら、ドラッグというと普通考えるのが非合法なものかなΣ(; ̄□ ̄Aと
自分の送信済みのメールを見てそんな事を思いました。なので訂正をしましたが
ニュアンスが、ごちゃごちゃになっているな~Σ(; ̄□ ̄A と感じました。

 そして、薬について考えていたのですが、最近では心療内科などで精神薬を
処方されることにあまり抵抗のない時代になってきた中で「薬がやめられない」という
言葉が日常でも、ネットの中でも使われる頻度が高くなってきました。以前は「薬が
やめられない」という表現をしようするると、なんともアンダーグラウンドな雰囲気が
して、しかも非合法のものであるというニュアンスでしたが、それが無くなってきて
いるな、なんて考えてみたりしていました。

 いったい、どちらを使用すればいいのだろうか???とナゾになっており
ました。

 そこから僕の奇妙な思考回路が働き出しまして、そういえば刑事の証拠能力って
どうやって認められるのだっけ?とか、何やら法律の事を考え出しました。

 法律って実際に知っていても実務についていない限りは、特に刑法、刑事訴訟法は
一般的にはあまり実生活では関係ないので、やはり得体が知れないのですが、
例えば、ネットの中で、まあ妙なニュアンスを使って何か勘違いされた場合に
どんな手続きになるのだろうか?と考えたりしていました。
そんな事くらいで令状が出るわけないだろ!!と言われたらその通りですΣ(; ̄□ ̄A
しかも、「お前の場合は medicineとdrugの表現だろう。あほか。」と言われたら
まあ、その通りでございまして・・・。


 まあ、しかしながら刑事事件訴訟法、刑法総則、刑法各論などをやり直さないと
全く忘却していて、困ったものです。。。民法などはやはり普段の生活でももちろんの事
親しみがあるのですが、刑法は医学書と同じで、見ていると気持ち悪くなるん
ですよね( ̄ー ̄;

 いくら、デュープロセスの原理が働いているとは言っても、学術上はそうで
あって、実際に形式的に適正手続きがとられたとしても、取調べの全面可視化
はされておらず、町の駐在さんなどは殆ど知らない。法律の知識で歯向かえば
機嫌を悪くして、また国家権力的な力を背景に文句を言ってくる。明らかに
濫用であるとしか思えないような人もいたりしますね。

 ただ、職質は一度も受けたことはなく・・・職質を良くされるという
知り合いの話を聞いていてなんだかなぁ~と溜息が出るわけです。
(この年齢になっても補導されることはたまにありますが(-_-;)

 変な話で、法律に従って、例えば職務質問に協力しない
というような事をすると、またまた時間をとられる。

 あなた本当に法律を知っていますか?と呆れたように手続き上の事を
呆れ顔で、「任意協力の下に行われることが原則ですよ」、と言えば逆切れ。
少し知っている警察官になると、「職務質問は任意協力が原則だが、市民や
国民には職務質問協力義務がある」と言ってくる。
 
 職務質問に対しての協力義務はあるのか?という論点があったような気が
しますが、その協力義務を肯定してしまったら任意ではなくなってしまうでは
ないかという疑問が生じますね。と返せば逆切れ(-_-;)というエピソードを
持っている知人がいます。

 それを聞いて、なんともねぇ~。。。と思ってしまいます。
ある程度実務上は矛盾してしまう部分はあったとしても論破されたのなら
正当な法律の下の事で、それに準じて警察は動いているのだから、諦め
ればいいのに・・・と思ったりします。

 それに、最も納得がいかないのは、国民を拘束することが出来る権限を
もった国家権力の中にいる警察官(一般司法警察員)の方々の試験が緩すぎる。
司法試験に準じるくらいの難関試験にしてもらわなければ困ると僕は思って
います。実際に刑法と刑事訴訟法の範囲内で動いている方々が、その法律を
司法試験以下のレベルでしか学んでいなくて、その職につけるとはなんたる
ことだと、けしからんと、僕は思ってしまいます。

 と、刑法と刑事訴訟法、警察官の納得いかない部分で随分と埋まって
しまいましたが、そんな事を思っているわけです。

 余計にこの印象が強くて、刑法の学習をしていると、医学書を読んでいて
自分が「こんな病気の可能性もあるかもしれない」と思ってしまったりする
ではないですか?それと同じで、刑法の勉強をしていると、実際に検証
したら犯罪になるものなんてたくさんあるな~と思いまして・・・
 
 罪刑法定主義とは言っても、それがどのような基準で動いているか
と言われると、かなりあやふやだな。。。と勉強をしていていつも感じていました。
それが余計に気持ちが悪い・・・弁護士になって活動していくときにはきっと
スレスレの部分がたくさんあるのだろうなぁ~と法曹の世界に行くのだと決め
ている僕としては大変に気持ちが悪く、訴訟リスクなんて腐るほどにあると
考えると吐気がしてくるのです。特にアメリカ法曹界に行くということを考えて
いるわけですから余計に、日本より酷いだろうと・・・思ったりするわけです。

 と、言葉のニュアンスからの勘違いで刑法の事を考えていたら色々と
出てきたというお話でしたΣ(; ̄□ ̄A

 よく、「やましい事があるからおそれるのだ」と言いますが、実際に知れば
知るほどに、法律を厳格に考えていくと、民事上の不法行為なんて腐るほどに
ありふれていますし、刑法上のことであれ、多かれ少なかれ誰でもたまたま
科刑されていないだけで、多分、判例六法を片手に調べてみると、あなたにも
あると思いますよ。

 意識している、意識していないかという違いだけで、違反切符だって
道路交通法違反ですから立派な違反ですからね。そのような細かいこと
まで妙に考えながら刑法を勉強してしまうと吐気がしますねΣ(; ̄□ ̄A
まさに社会の医学書とでもいうべきでしょうか(-_-;)

 今日一日、それで気持ちが悪くなっていました(-_-;)
しかも忘却しているというこの事実もまた、僕を失望させるのでした。。。
実は刑法は司法試験の受験科目の中で最も嫌いであり、しかしながら
国家権力というものをどうしても僕は好きになれないので、覚えておか
なければならない法律であると思っていたために余計に気持ちが悪い
です(・_・;

 こういう事で、ビクビクしていると、「NORIはどうして普通の人が怖がる
場面では平気な顔をしていて、勝手に勉強したりしてる中でビクついて
いるのか。。。不思議で仕方ないんだけど」と友人、知人は不思議そうな
顔をしています。 
2011-09-28 : 作品作成日記 : コメント : 2 : トラックバック : 0 :

そういうことじゃないよ

君は囁くように小さな声で僕に言った。
「また一人になるのが怖かった」と。
きっと、またいつか一人になってしまうのではないかという不安を消し去ることは難しいことで、
それを忘れさせるということもまた困難なことだったのだ。僕にそれが出来るだろうか。いつか、
僕はこんな新鮮な君への気持ちを忘れてしまうのではないかと不安だった。

 僕には自信がなかったのだ。君を好きでだと言い続ける確信を持てずにいたのだ。
そんな僕の気持ちに気づいたのか、不安そうに僕を見つめ精一杯のくちづけで僕の
気持ちを確かめようとした。

 そのくちづけを僕は素直に受け入れることが出来ただろうか。
そのくちづけに僕は永遠を感じることが出来たであろうか。
そして君の不安はそれで和らいだのだろうか。
 
 何もかもが君と僕とのことで、その間には何かが入り込む余地はなかった。
けれども、僕はどこまで君を想っていて、君の気持ちに応えられるのであろうか。
僕はいつも不安で不安でしかったなかった。君を失うことも含めて考えられる
全ての否定的な考えが怖くて仕方なかった。

 君は言った。
「ねえ、あたしは怖いんだ。また一人になってしまうことが怖いんだ。
家に帰って来ても、誰もいなくて、夜眠るときも一人で、夜の闇に押し
つぶされてこのままいなくなってしまうのではないかという気持ちになる
のが怖いんだ。あなたがそこに居てくれるだけあたしは救われるんだ。
でも、そんな不安とかより、あなたを失ってしまうのではないかという
不安のほうが今ではもっと怖いの。あなたを失ってしまった日の夜から、
あたしはどうしたらいいの。二つの絶望と恐怖と戦わなくてはいけないの。
そんなの嫌だよ。あたしは、もう一人は嫌だよ。」

 僕はそんな君の願いにどこまで応えることが出来るだろうか。
僕は本当にそのように生きていけるだろうか。君と二人で永遠を見つめて
人生を歩んでいけるだろうか。それが不安だった。
君を泣かせることも、君を怖がらせることも全てが不安だった。

 僕はどうしてこんなに弱いのだろうか。
君を悲しませてしまうほど弱いのだろうか。僕は自分が情けなくて、非力でそして
何も出来ない男なのだと感じてしまう。でも、そんなことでは君と一緒に居ることは
出来ないから僕はかなり無理をして、そして強がっていた。いつも君の前では笑う
ようにしていたし、いつも君が泣き出さないようにと気を使っていた。

 でも、そんな苦痛を伴う努力なんてすぐに壊れてしまうもので、無理をしていることを
君はとっくにお見通しだった。
「ねえ、あたしの為にそこまでするの。ねえ、あたし一人は怖いけど、あなたが苦しそうに
している姿も嫌だよ。ねえ、そういうことじゃないんだよ。二人でいたいって、ずっと一緒に
いたいってそういうことじゃないんだよ。きっとね辛いこともあるし、これから二人で喧嘩し
たりすると思うけど、でもね嬉しいことも辛いことも二人で分け合って生きて生きたいって
意味なんだよ。ねえ、そんなに無理して一人で抱え込まないで。お願いだから、あたしの
ことも信頼して欲しいんだ。あたしは、弱いしすぐに泣いてしまうし、俯いてばかりだけれど、
でもねあなたと二人なら辛くても大丈夫だよ。だから辛いことを一人で抱え込まないで。
お願いだから、ねえ。あたしを信用して。」

 君の方が僕より何倍も強い人なのだと言う事をこの時に理解した。
君には何もかもお見通しで、僕が君のことを守るつもりが、心配をかけないつもりが、全て
見透かされていて余計に心配させていたことに僕はひどく後悔した。
 そして、今まで心に溜め込んできたものが一気にせきを切ったように心の底から溢れ出して
僕は嗚咽を漏らして泣いた。そんな僕の頭を君は胸に抱き寄せ、ただただ僕の頭をなでてくれた。
まるで子どもをあやすように、ずっと、ずっとそうしてくれていた。

 君の優しさはこの世界でどこの誰よりも深くて、そして暖かいものだと思った。
君は僕の大切な人で、僕も君の大切な人になりたいと思った。
今より、もっと君に大切に思ってもらえるようになりたいと思った。
 でも、一人で何かを抱え込むのではなく、嬉しいことも、辛いことも二人で分け合って
いけるような関係になっていこうと思った。それは、君への信頼の証で、また愛情の証
でもある。

 君が僕に注いでくれる深海よりも深い深い愛情のように、僕もまた君へ
深い深い愛情と信頼を見せようと思った。これから、僕たち二人にどんな
ことが起こるのかは全くわからないけれど、とにかく僕は君という人と一緒に
いようと思った。どんな辛いことがあっても君と二人でいれば大丈夫だということが
僕は理解できたから。

 そして君を心の底から信頼しているか。だからこそ、大丈夫なんだ。
きっと、僕は君をずっと好きだし、これからも君を信頼し続けるだろう。
僕の弱い部分を見捨てずに受け入れてくれた君、僕の足りない部分を埋めようとして
くれた君。君という全てが僕にとってかけがえのないものなのだ。

 僕はどうしてあんなに自信がなかったのだろうか。
こんなに僕を理解してくれる人がいて、その人をずっと好きで居られるかなんて
下らない心配をどうしてしてしまったのだろうか。
 僕は君が好きに決まっている。このまま永遠に、君を好きに決まっている。
そんな当たり前のことも確信できないほどに僕は何を恐れていたのだろうか。

 勇気と確信を愛情を持って君に言おう。
「君が好きです。これからも、ずっと先の未来でも、君の事を愛しています。
僕は君が居れば、優しい気持ちになれるし、きっとこの先も穏やかに生きていけます。
君が傍にいてくれれば、何も怖いものなんてない。君を愛しています。心から」
2011-09-27 : 短編集 : コメント : 8 : トラックバック : 0 :

胸の傷

この胸の傷は
君の爪跡

淡いピンク色のネイルが
深く抉って消えなくなった傷跡

君と過ごした
少しだけ激しい夜の証

そして
君が存在したことの証明

僕は覚えているよ
大丈夫だよ

しっかりと
覚えているから

君の細い指先の
可愛いキラキラした
淡いピンク色のネイルが

残酷に抉った
深い胸の傷跡
今も消えない胸の傷跡

情熱みたいに
深紅に染まった
胸元に気付かないほどに
痛みさえ感じないほどに

激しい想いをぶつけて
交わって

この傷は
もう痛みさえも感じないよ
それくらいに時間が経過して

君は居ないのだと
君が不在の世界に
涙を流して嗚咽を漏らして
僕は過去から逃げられないまま
胸の傷が愛しいまま
2011-09-26 : 恋愛詩 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

想い巡る

あの時と同じ
割れたグラスに
壊れた懐中時計

心は動かないまま
それでも過去に
想いは巡り
ぐるぐると同じ場所を
行ったり来たりしている

過去とか未来とか
そんな時間の制約もなく
時が止まったような
止まっていないような
そんな世界を巡る

同じ場所を行ったり来たり
まるで音楽のリピート機能を
使っているかのように
始まりから、終わりまで
全く同じに再現して

忘れられないわけじゃない
ただ心地よいメロディーを聴くような
そんな世界に想いを巡らせ
何度もリピートしているだけ
たった、それだけのこと

割れたグラスに
壊れた懐中時計

心をいれていたグラスは
割れたまま 置きっ放しで

時を刻んでいた懐中時計は
動かぬままで

ただ
そこにあるのです
この心の中にあるのです

たった
それだけの事
2011-09-26 : 恋愛詩 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

情欲

心を青く染めて
他人のように
あなたの身体に
触れるのは
とても難しい事

欲しいのに
それに手を伸ばしたいのに
けれども手を伸ばせなくて
触れる勇気もなくて

心を青く染めて
他人のような関係のまま

あなたの心を欲するのは
あまりに怖いから

冷たい関係だろうか
ただの情欲だけで
繋がっているのだろうか

心を青く染めて
心を奪われないようにして
あなたの身体に触れて

本当はもっと奥にある
その心に
触れてみたいけれど

心が壊れてしまうだろうから
あまりに怖いから
触れないようにして

心を青く染めて
他人のような関係のままで
今夜も抱き合うのだろうか

あやふやな
そんな関係のままで
2011-09-26 : 恋愛詩 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

微熱

たくさんの事を
詰め込もうとして
一生懸命でさ

だから
少し頭がおかしくなって
新しい世界観を拒絶した
カラダが発熱して

世界が
ゆらり廻る 廻る 廻る

文字記号が
意味を求めて
結合しようとするのを
拒否するのは
僕自身の心で
現状を保つために
新しい文字記号に
意味を付与する事を
拒否しようとする

変わろうとするときって
痛いよね

そうだよ
そんなこと理解している
恐怖が大きい事も知っている
それは自分が意識しなくても
細胞に宿る現状維持機能が
恐怖を感じて留まらせようとする

けれどね
変わっていくんだ
自分は変わっていくんだ

変わり続けるんだ
変化することを止めないこと

どれだけ痛くても
そこには大きな喜びさえも
包容されているのだから

そこに
生きる意味を
知的欲求を持っている事を
深く理解しているのだから

変化する事を
日常にするんだ
それは危機ではないと
この細胞に学習させるために
2011-09-26 : 啓発詩 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

誰かに聞きたい

長くて短い時間の中で
何を目印にして進んでいけばいいのか
自分で立てた目印が
幻のように消えて
膝から崩れ落ちてしまう日もあるよ

そんな日は
誰かに問いかけたくなるけれど
でも、我慢してね

また
自分で立てた目印が見えるくらいに
霧が晴れるまで、歩いてみるんだ
必ず自分が立てた目印は
そこにあるのだから

君が決めた事は
君の中で生きているのだから
絶対に消えていないんだ

大丈夫だよ
勇気を出して進んでごらん
大丈夫だから

君が立てた
目印は少しだけ霧で
見えにくいだけだよ

そのうちに
霧が晴れて鮮やかに
全てを映し出すから
それまで歩いてみよう

絶対に大丈夫だから
絶対に目印はまた表れるから

だって
自分で決めたのだから
君の心の中に
その目印はしっかり
立っているのだから
2011-09-25 : 自由詩 : コメント : 4 : トラックバック : 0 :

もういいんだ

もう、いいんだ
なんて恋人にそんな事を言って
自分の夢を捨てたフリをして
大人になったつもりで振舞ってさ
君は一体どんなつもりなんだ

何がいいんだ
君が夢を捨てる事は
一向にかまわない

でもさ
恋人に逃げるなよ

もう、いいんだ
そんな言葉を吐いて
カッコつけて
大人になったつもりかい

そんなもの
大人でもなんでもない
自分一人で終わらせるのなら
それは それで良い

でも
わざわざ恋人に言うなよ
そこに逃げ込むなよ
自分の夢を捨てた責任は
自分でとりなよ

大人になったつもりで
夢を捨てて
大人になったつもりで
カッコつけて
感傷に浸ってみても
それは君が諦めただけのことだ

外部環境の責任ではなく
君の責任だ

だから
もういいんだ、なんて
そんな言葉を
恋人に投げつけて

君さえ居ればなんて
甘いこと口にするなよ
恋人は決して
逃げ場所でもなければ
後悔を消してくれるわけでもない

そんな風に
寄り添ったら
いつか大切な人を
傷つけてしまうから

もういいんだ、なんて
カッコつけて
恋人を逃げ場にするなよ
2011-09-25 : 啓発詩 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

君の居る場所まで

君は誰にも気付かれないように
大粒の涙を零して
夢が一緒になって
砕けていくような音を感じて
それでも
前を向いて生きていた

誰にも気付かれないように
微笑みの下に
大きな 大きな
希望だけを抱えて

壊れたら 修理しながら
自分で自分の心を
いびつながらも
修理しながら
前を向いて笑っていた

どれだけ悲しくても
どれだけ孤独だと感じても

そんなものは
幻想に過ぎないと
その小さな胸の中に
大きな希望を宿して
君はいつも笑っていた

そんな君を
好きにならないはずがないよ

あまりに素敵で
まるで不完全で
天空から降りてきた
女神の見習いみたいな

そんな君を
好きにならないわけがない

だから
僕もしっかりと歩いていくよ
いつか君に会える場所に
たどり着くまで

君が微笑んでいる
その場所に
僕が追いついて
手を握り締められる
そんな距離になるまで

僕も一生懸命に
ただ、真っ直ぐにやってみるよ
君の居る
その場所に辿り付くまで

そしていつか
君が一人ではないと思えるような
そんな、強さで包み込めるような
僕になってさ
君の手を握り締められる場所まで
僕は行ってみようと思うんだ

まだ
顔も名前も互いに何もしらない
けれど 君はその場所にいる
そう確信しているんだ

2011-09-25 : 恋愛詩 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

狂ってしまった僕と君

 それが最後の希望だったのだろうか。君にとってはそれが希望であったの
だろうか。僕には何も分からないままで、何をどのように理解して君のことを
見つめたらいいのか、その見当さえつかないまま僕は君と一緒にいた。

 それは幸福という温かな生活とは随分かけ離れているような生活だった。
僕は毎日のように止まることのない君の自傷行為を止めなければならなかっ
たのだからだ。それは常軌を逸した生活で、自分がこのような生活に身を置く
ことになるとは僕自身想像もしていなかった。

 君は可愛い人で、とても小さなカラダの人でとても女性らしい女性で
あった。けれど、いつからだろうか。心が壊れてしまったんだね。どこかで
間違えてしまったのだろうか。僕は君との関係の中で何か間違えてしまったの
だろうか。君はいつからか自傷行為を繰返すようになり、それが酷くなり、僕は
全く家から出られなくなってしまった。二人でいる以外の事を選択する余地が
僕には無くなってしまったのだ。

 君は独占欲の強い人で、そして刹那的な人。破滅に向かうことは君にとって
は永遠に向かうという尊い行為で、その幻想は日々強くなるばかりだった。
そして君はとてもサディスティックな人。

 僕は見えない紐で縛りつけられていく。そう、僕はどんどん縛り上げられていく。
もう、身動きも取れないほどに、僕は縛り付けられていく。いつしか、僕はそれに
慣れてしまったのだろうか。この異常な状態に僕自身が安心を見出してしまった
のだろうか。

 終わることの見えないこの関係、この自傷行為の繰り返しに、僕は一瞬の
安堵のような幻想まで見るようになってしまった。それは間違ったことだと
頭では理解しながら、僕の生活の中で君が全てになってしまったのだ。

 君は自傷行為の中で僕を見つめるとき満足そうな顔をしている。
その瞳に僕は吸い込まれてしまうのではないかと錯覚するほど、その中の君は
女性らしく、そして壊れていく過程の美しさを放っていた。
それは強烈で簡単に逃げられるような類のものではないのだ。

 壊れていく様があまりに美しく散り行く桜のように美しく一瞬も目を
離せないのだ。僕の精神世界の基準は崩壊し、君に侵食されていく。
これがどれ程に罪なことで背徳的なことであろうか。この背徳的な行為が
どれだけ僕に悦楽を与えるのだろうか。それは計り知れないほどに大きく
僕はますます抜けられなくなっていく。

それがどれだけ僕に苦痛という悦楽を与えることなのだろうか。僕は
すっかり落ち着いて眠ってしまった君を見つめて「随分と自分は非現実になっている」
と思った。

 寝顔はこんなにも可愛く愛しく、それはこの世界で最も美しいのではないかとさえ
感じてしまうほどであった。しかしながら、君は昔とは随分違っていて、この世界に
いること、存在することそのものが苦痛だと言うようになってしまった。

 以前は随分と明るくて健康的な女性であったというのに、どこで間違
えてしまったのだろうか。原因はよく分からなかったけれど、そうなって
しまった以上は仕方のないことなのかもしれない。

 しかしながら、最も問題なのは彼女がこのようになってしまったことで
はなく、むしろ僕の方にある。それは彼女という存在が僕を精神的に縛り
つけ、非現実な世界に引き込まれていくほどに僕はそこに悦楽を感じて
しまうということである。

 彼女を守ろうと思っていた僕が、その彼女の異常な刹那に侵食され、
そこに快楽、悦楽、背徳感を感じてしまっているのだ。

 まさに「ミイラ取りがミイラになった」ような状態である。僕は君から
縛られる度に、その強さが増して行く度に、その快楽が強くなっていくことを
感じていた。

 それが間違いだとしても精神を縛り上げられていく感覚は、実際に縛られ
るという行為よりもさらに背徳的で実際のそれよりもさらに官能的で刺激的
な感覚であった。

 僕はこの感覚を楽しんでいるのだ。僕は実際にこの感覚を楽しんでい
るのだ。痛いことも全ては快楽のため。辛い思いも全ては悦楽のため。
どのような現実があるにしてもそれにそむく背徳感はどのような出来事
よりも官能的であるのだ。

 もう、僕は認めるしかなかった。君から離れることは出来ないと。
君から逃げ出すことは出来ないと。もう、君を守るとか、助けたいとか
そんな想いではなく、僕はただ傷つけられることに官能を覚え、そこに
悦楽を見出してしまったのだ。もう認めるしかないのだ。

 僕は月明かりに照らされた君の頬にそっと手を添えて非現実な世界に
きてしまったものだと物思いにふけり、君の頬の温かさを掌に感じていた。

 君は朝になると昨日のことが嘘であったかのように明るく、そして優しく
微笑んでいることが多い。実際、朝は君の笑顔が本物であると感じることが
出来る時間で、僕はこの時間が何より穏やかで好きである。

 でも、夜の情緒不安定な君からは逃げられない。
どこまでいってもあの悦楽からは逃げられないのだ。

 分かっているよ。逃げようなんて無駄なことなんだ。それは分かっている。
でも、これが君の望んでいることなのだろうか。本当にこれが望みなのだろうか。
どのように考えてもそれは破滅に向かっているような気がした。

 でも、それさえどうでも良いことなのかもしれない。どれだけ僕が何を思おうと、
僕は君に拘束されているし、あの悦楽から逃げられるわけがなく、どっぷりとその
快楽に身を委ねてしまっているのだから。

 でも、君と僕は昼間はどこから見ても普通の仲の良いカップルに見えるだろう。
凄惨な夜が毎日のようにあって、毎日僕がそれを抑止しているなんて誰が思う
だろうか。昼間の君と僕は周囲の人々からみれば幸福そのものであると思う。
手をつなぎ、二人とも微笑み、買い物をして、それは誰からみても穏やかであるからだ。

 しかしながら、それはあくまでも表の表情であって、誰も気付きはしない世界が
僕と君の中に出来上がってしまっているのだ。きっと、これは誰も気付かない。
別に誰かに気付いてもらう必要もない。

 どこまで、エスカレートしていくのかは分からないが、もう抜けられないくらいに
依存してしまっている事を僕自身が最もよく理解している。それはドラッグのように
簡単に抜け出せるようなものでもなく、逃げ出せるような類のものでもないのだ。
2011-09-25 : 短編集 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

生命断絶の決断

 いつか、こんな日が来る事は想像していた。
僕は銃口を人に向けているのだ。こんな日が来る事を
想像することはあったが、こんなにも早く現実になるとは
思ってもみなかった。

 単身アメリカに渡米して法律家となって自分でファームを
設立して躍起になっていたから、どんな仕事でも引き受けた。
明らかに犯罪であると分かるものであっても僕は相当額以上の
金銭を要求し、それを引き受けた。

 日本人には自分がマイノリティーであるという実感がとても
薄い傾向がある。

 僕自身も例外なく、自分がアメリカに留学する当初は自分が
マイノリティーであるとは思ってもいなかったがやはりマイノリティーであったのだ。
そんな、自分に仕事を持ってくるネイティブは殆どいない。

 実際に営業をしてみても、日本人の州弁護士という理由で、どれだけ
知識があろうとも、判例を見つける能力があろうとも、それは問題では
なく、東洋人というだけで仕事を依頼されることはなかった。もちろん自分が
ネイティブの立場であったら、東洋人に仕事を出そうとは思わないだろう。
それは理解できた。しかしながら、僕はここで生きていくと決めたのだ。
米国法曹の中で、弁護士として生きていくことに決めたのだ。
 
 だからこそ、どんな危険だと思える仕事でも引き受けた。そのような危ない
仕事をするからこそ、法曹関係者に携帯の許された拳銃を僕はいつも持ち
歩いていた。ショルダーのガンホルダーをつけて、その上からジャケットを
羽織っていた。

 だからこそ、たった一年と少しの間で、僕は東洋人の弁護士でも信頼を
勝ち取る事が出来た。センセーショナルな事件の加害者の弁護を僕は狙って
引き受けた。自分からオファーも出した。批判も当然のように受けたが、逆に
それが宣伝になり、僕自身はそれなりに知名度をあげることに成功した。

 だからこそ遅かれ早かれ来る事は分かっていたが、僕は発砲された。
しかしながら、それは突然やってくるもので、まさか、たった一年と少しの
間にこんな日が来るとは思ってもみなかった。


 人通りの少ない路地裏を歩いていると後ろから発砲された。
その一発が僕の肩を貫き、僕の左肩からは血が滴って地面にポタポタと落ちていた。
僕はとにかく走って物陰に隠れて、いつも護身用として持っているベレッタを取り出し
右手で握り締めた。

 このような生命の危機を目の前にすると、動物としての闘争本能が恐怖心より
大きくなっているのが自分でも分かった。肩は確かに痛かった。けれども、
それは種類の違う痛みで我慢が出来ない痛みではなかった。その痛みが闘争本能を
掻き立て、滴る自分の血液がさらに自分を興奮させていることを感じていた。

 そして僕は、はじめて生身の人間に向かって発砲したのだ。
それが運よく相手の銃を持つ手に当たり、その隙にもう一発発砲した弾が
相手の足にあたり、相手は地面に転がっていた。

 僕は走って相手のところまで行き、立てないように腹を思いっきり革靴で蹴った。
みぞおちに入ったようで、相手は苦しそうに息も出来ないというように苦しんでいた。

 そして、馬乗りになり相手の口の中に銃口を突っ込んだのだ。
相手は「help」と「Please」をもごもごと何度も叫ぼうとしている
ようだったが銃口がそれを邪魔してただのうめき声にしか聞こえなかった。
2011-09-25 : 短編集 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

Life

Life.jpg

(注)画像をクリックして大きくしてご鑑賞下さい
2011-09-25 : ただ書き綴る : コメント : 2 : トラックバック : 0 :

残酷さを認める事

 命の重さに違いがあるのか?という問いを考えてみましょう。

 なぜ今更、またこんな問いをたてたのでしょうか。
それには理由があり、「無責任な博愛主義者」が多いと感じるからです。
自分は「優しい人間なのだ」「慈愛に満ちた人間なのだ」と思うことに意義を
感じ、それに対して、自尊心を満たしているのかもしれません。また、それを
弱者という社会的地位から、大多数を形成し、その思想が正しいのだという
ことを社会政策的観点の考察をなしにして語るのは非常に陰湿で「無知・弱者
という暴力」であると僕は感じています。
 
 偽物の博愛主義者が最も社会の中では性質が悪いと僕は思っています。
いっその事犯罪という構成要件を満たす行いをしたものであれば、どのような刑に
処するのかという事で一応の決着はつきますが、偽物の博愛主義者に至っては
無知を武器に感情を駆使し正義の革を被って社会を動かしていくからです。

 それは本人が意識しておらずに、それが正しいと無垢に思っているからこそ
何をしでかすのか分からないという怖さと、たった一時の感情に任せて大多数を
形成し、長期的スパンでは明らか良いものを自分の価値感だけで捻じ曲げて
突き進んでいくのです。これ程に怖いことはありません。

 今の日本が全くその通りの状態になっている気がしてなりません。
僕はこれを光市母子殺害事件を契機に大きな転機を迎え、無責任な
博愛主義者が随分と台頭してきたと危機感を募らせています。

 感情によって科刑が変わってしまう世界を想像するという想像力に欠けています。
無責任に感情を大切にと言うのは無責任というほか何者でもありません。
感情に任せて科刑をするということは、「気分で法律が変わる」ということと
全く変わらないのです。

 歴史の過ちを繰り返そうとしているのは、感情論者達であるということに
気付いて欲しいと思います。今まで血にまみれて勝ち得てきた、安定した法律の
基に社会が成り立っているという事を忘れないで欲しいと思います。

 せめて、高等教育まで受けた人々であるのなら、それがどれだけ血を流して
培ってきたものか理解出来るはずです。
 

前置きが長くなってしまいました
下記から本題です。


1 「あなたが死ねば、5万人が助かります」
2 「一人を犠牲にすれば5万人が助かります」
3 「自分の家族が死ねば50万人が助かります」

 これは厳格に、「生命の重さに違いはない」という考えを基に考えて下さい。

 あまりに厳格に「生命の重さに違いはない」とすると既に何も文字にする
必要もなく問いが無意味になってしまう事を感じて頂けたでしょうか。
しかしながら、「生命の重さに違いはない」と厳格にして、それを貫徹して
この上記三つの箇条書きに答えられる人がいるのなら僕はそれは人間では
ないと思います。どちらにも、同じ結果をもたらさなければならないからです。
若しくは、博愛主義よりももっと非常で、結果どちらも同じであるから連帯して
「最悪の結果を共有すれば良い」という事で全てを殺してしまう、もっとも
怖いものかもしれません。


 では、上記の三つの問いに対して、あなたが社会政策を担う立場であったら
どうでしょうか?


 当然のごとく多くの人間が助かる方を選択しますよね。
こういうことなんです。感情に任せて、全ての人間が大切だという博愛主義は
ただの無責任に過ぎません。それは優しさではなく、社会を動かしていくという
事も出来ません。

 例えば、あなた住む街で「一人を助けるために50万人の命を捨てた」政策を採用した
人間がいるとします。「全ての命の重さに違いはない」と言っている人でも自分の街で
そのような政策をされたら、もちろん非難するのではないでしょうか?

 しかしながら、もしあなたが「全ての命の重さに違いはない」と正義を振りかざすならば
そのような政策が現実に採用され1人命が重要視され、その他50万人が死んでしまう
という状況になったら、文句を言う資格などどこにもないのです。
 既に比べられないと言った人間に、上記のことに対して意見を言う資格などどこにも
ないのです。 

 残酷なことですが、僕の命も、あなたの命も、個人友人レベルではとても重要なもの
でかけがえのない生命である事は間違いないのですが、しかしながら、社会共同体と
いう中で考えるとき、僕の命も、あなたの命も重いものではありません。
とても残酷なことですが、命を比較して、状況によって命の重さに違いは絶対に
生まれるのです。

 僕はご都合主義の偽物博愛主義者が好きではありません。
感情に訴えたキレイごとを実際の現場に対して文句を言う、批判をするという
立場なら責任もなく、自分の手は汚さずに、自分は正しい事をしている
言っているという満足感でさぞかし気持ちよいことでしょう。

 そのような人々や、団体の感情的批判、デも運動などには間違っても
参加をしてほしくないと思います。私たちは、そんなにキレイなわけがないのです。
どうぞ、社会的に正しいと思ってしまうような感情論を武器にした主義、主張に惑わされ
ないようにして頂きたいと思います。弱者・無知という暴力を最大限に活用している
そんな過去の血を流して得た現在を水泡に帰すような、未来を促進する無知なもの
に騙されないで欲しいと思います。

 あくまでも、あなたが、そのような問題の第三者である場合には絶対に惑わされない
で欲しいと思います。自分は第三者であるという冷静な目で、問題を見て、当事者の
間に冷静に入れる、第三者という立場を厳守して、過剰に偏らないような抑止力として
機能出来るような、感情に流されるのではなく、色々な視点から物事見られる立場を
死守して頂きたいと思います。
2011-09-24 : 作品作成日記 : コメント : 2 : トラックバック : 0 :

音楽が鳴り出すWEBサイトについて

 もともとWEBを製作したりするということには、表現する場所を
自分で製作するという事で、興味があり、そして今、素人ながらに
なんとか、ギリギリのラインでWEBを触れるようになりました。

 素人とある程度分かる人の中間地点くらいにいます。
Nori Creationのデザインなどには触れないで下さい:(;゙゚'ω゚'):
あれは、全面改訂しなければならないと思っているのですが放置され
ています。

 今日は「勝手に音楽のなるブログやWEB Site」についてです。
そのWEBはただの自分のスペースとして公開しているのか?
すなわち、自分のプライベートとして公開しているのか、それとも
少なくともWEB上の不特定多数の方に対して少しでも文章中で自分を
表現して、見てもらいたくて公開しているものなのかどちらでしょうか?

 もし、後者であるならば、音楽が勝手に鳴り出すサイトやブログの構成は
業界的にはタブーです。

 音楽が任意に聞けるようなプレイヤーが埋め込んであるサイトはまだ良い
のですが、訪問者の閲覧中にずっと音楽がなり続けるサイトやブログは
実は訪問者に対して優しくありません。

 訪問者の時間は訪問者の方のものだからです。
自分のブログの雰囲気と文章の雰囲気に合わせて工夫して音楽を選曲して
いらっしゃるであろう事は理解はするのですが、自分自身が訪問者の立場で
音楽の勝手になるサイトに入ったとき、「気分が良くなる人は少ない」と思います。
しかしながら、自分の製作したブログやサイトなどになると、自分のサイトやブログ
は別物になってしまうことが多いのです。

 それは個人が、一生懸命に選択をした結果、そのように思うわけですから
それは良いのですが、少なくとも人にそのブログを公開してもっと見てもらいたい
という事を願っているのなら、ブログやサイトに音楽をつけるのは辞めたほうが
得策です。

 音楽がなるサイトというのは、WEB業界で一般的に言われているユーザビリティーに
かけているという表現で示されます。

 特にブログは仕事で書く人もいますが、プライベートな時間の中でリラックスして
いる中で、好きな音楽をパソコンで聞きながら閲覧するなどしている方も多いなか
でパソコンで音楽を聞いている最中に、あるサイトに訪問したら、音楽が鳴り出したら
やはり気分はよくありません。

 人に公開するという事は、自分の場所であって、人を招く場所であるわけですから
「自分のサイトだからいいじゃないか」とは言えないのですが、WEBでは特に対面は
せずに、サイトを閉じられて、二度と訪問してもらえないという結果がフィードバック
されないので気付かない事が多いのです。

 「個人のサイトだから個人の好きなように」と皆がだいたいはそう思っているから
こそ標準的にタブーなことであっても、なかなかフィードバックされてきませんし
音楽を鳴らすサイトを良しとしているものを、「わざわざ批判する事もないだろう」と
思って訪問者の方は去っていきます。

 いくら内容が素晴らしいサイトであったとしても二度と訪問しないというのが
実情に近いと思います。音楽家のWEBサイトであっても勝手に音楽が
なり出すという構成のサイトはかなり少ないです。

 音楽を生業としている方々のサイトでさえも音楽を鳴らさないのですから
普通の人が、自分の何かを伝えたいという目的で製作されているサイトで
音楽を鳴らすのは避けたほうが無難だと思います。また、音楽を読み込む
だけでも重いサイトになってしまいます。

 いくら光になっても、サーバーが少し不安定だったりするとかなり重く
なります。ネットを触っている人が、体感的に表示までに待ってくれる時間は
多分20秒くらいでしょう。その時点である程度表示されていなかったら、まず
サイトを見ません。自分が特定の有名人、著名人でない限り、そこからで
なくても情報は手に入るからです。

 あくまでもプライベートな自分の趣味で自分が気に入っているから音楽を
鳴らすのだ、と言われる方が居ても良いのですが、それならば、アクセスが
伸びないという事を嘆いてはいけません。

 何を公開しようとも管理人の自由であるのも当然ですが、それを訪問して
欲しいと願うのなら、訪問者の事を考えているサイトに皆行きたいと思うで
しょうから。そして大多数の方が、プライベートな時間の中で遊びとして
ブログを巡回するわけですから、訪問者も又プライベートで自由な時間の
中で巡回をするわけで、映画を見ながらだったり、音楽を聞きながらで
あったりしながら巡回をするのですから、音楽の鳴らないサイトの方に
好感を持つでしょう。

 プライベートな時間を邪魔されて気持ちの良い人がいるはずがあり
ませんから。どちらも自由であるからこそ、よりシビアに理由も告げら
れずに切られてしまうのがWEBの世界なのです。それも全く顔も声も
何も知らない人であるからこそ、二度と訪問してくれないという事も
容易に起こるのですから、アクセスを望み、何かを見て欲しいと願う
なら自分のWEBサイト、ブログで音楽を訪問者の意に反して鳴らす
ような構成は避けたほうが良いかと思います。
2011-09-24 : 作品作成日記 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

理解出来ないから

君の世界
僕の世界

決して交わる事がないのなら
せめて、この身体で契りを交わして
誰にも見せない姿を
互いに記憶に焼き付けて

優しさも
激しさも
ありとあらゆる
複雑に絡まった
二人の感情のフィルターが
歪曲させてしまう世界を
全て詰め込んで

理解出来ないから
全てを詰め込めば

いつか
理解出来るかもしれないから
全てを詰め込んで

怒りも 嫉妬も 哀しみも
歪んだ想いさえも
全てを詰め込んで

せめて
理解出来ないのなら
この身体で契りを交わして

月夜の夜に
二人で過ごそうか
明けない夜を願いながら
この時間が過ぎ去らない事を
祈りながら
2011-09-23 : 恋愛詩 : コメント : 4 : トラックバック : 0 :

虹色世界

君を抱きたいんだ
甘い香りのベットの中で
わかっているでしょ

君と二人だけの世界は
虹色世界の入り口で
そこは秘密の場所

微笑んで
手を繋いで
二人で駆け出すくらい
さわやかな夜

虹色世界の入り口は
君と二人でいる証拠

君と二人の時間は
虹色世界のはじまり

2011-09-23 : 恋愛詩 : コメント : 2 : トラックバック : 0 :

ささやかだけど

この声が聞こえますか
あなたの耳元で
囁いているこの言葉が
その心の中に届きますか

心に触れるなんて
とっても難しいから
せめて、言葉だけでも
あなたの心へ届きますか
響きますか

小さな言葉を
耳元で囁いてから
君の胸に耳を当てて
その心臓の音に
耳を澄まして
目を閉じて

過ぎていく
ゆったりとした時間

君の心臓の音が
心地よく
生命のリズムは

優しく
絡んだ心を解いていくようで
触れられない解に
触れられた気がして

でも
言葉にするほど
僕は頭が良くなくて

言葉にして
しまった瞬間に
それは嘘になってしまうから

だから
今はこの君の
小さなカラダの
生命のリズムを刻む
心臓の音を
目を閉じて
聞いていよう

まるで
子どもみたいに
甘えるように
君の胸の中で
まどろむ幸福は

きっと・・・
単純な言葉で
幾度となく使い古された
言葉だけれど

きっと
幸福というのだろう
そんな気がする
2011-09-22 : 恋愛詩 : コメント : 2 : トラックバック : 0 :

まだ・・・

寂しいのだろうか
本当は誰かと
肌を重ねたいのだろうか

心も重ねていると
そんな風に思える
そんな時間の中で
誰かと肌を
重ねたいのだろうか

何人もの人が
通り過ぎて行くだけの
そんな夜を繰り返して

それでも
満足することよりも
疲れを覚えたりして

どんな理想を持って
どんな未来を描いて
何に幸福だと言える瞬間を
夢見ているのだろう

何人もの人が
僕の時間を通り過ぎて行く
他愛のない微笑みを交わし
肌を重ねて

でも
違う気がするんだ
どれも これもさ

やっぱり
僕の世界は人の中に
あるものではなくて
自分の中にあるんだ

どこまで行っても
寂しさとか
悲しさとか
捨てられないから

例えば
どれだけ愛し合っても
寂しさを感じるなら

まだ
僕にはそれを抱えられない
寂しさに 通り過ぎてしまう
そんな時間の儚さを・・・
2011-09-22 : 恋愛詩 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

記憶定着でもっとも困ること

 記憶の定着作業の反復を繰り返すのに最も困ることは
大まかに色々と定着してきていると、どこがどのように覚えて
いないのかを洗い出すのにとても時間がかかること。

 また、全てを定着させようとすると完璧主義に陥るという
ことに、どこまで何を反復するかが難しい。その力加減を
上手に出来るか出来ないかが、資格試験勉強独特のところ
です。

 深い知識など、資格試験には何の役にも立たないからです。
資格試験は学者を育てる試験ではなく、既に出来上がった枠の
中で、その枠をどこまで覚えて、それを適用出来る能力があるのか
を見るためのものなのですから、単調で飽きてきても反復をする
しかないのですが、範囲が広いと何をどれだけ覚えていないのか
という事の特定に困り始めるのです。

 また、覚えていないという恐怖感から、苦手な部分や暗記出来て
いない部分を見ることを無意識に避け始めます。これが厄介で
心に焦りをもたらし、疲れを倍増させます。

 もっと、心を平静に保たなければならないのです。
知識が僕を襲って押し潰してくるわけではないのですから
それをしっかりと認識をして、やっていかなければなりません。

 ただ・・・解除条件:(;゙゚'ω゚'):これは機能しているのかが少し怪しい
気がしています。やはり自分が自分でつけたものではカラクリが分かって
いる分、上手に機能しないのかもしれません。

 お化け屋敷のお化けの人は怖くない・・・というような事なのかも
しれません:(;゙゚'ω゚'):

 しかしながら、脳の力を抑えている意味づけが外せるように
出来ることを総動員してみたいと思います。知っている理屈や脳の原理など
全てを総動員してやってみたいと思います。そして、それが本当に効果を発揮
して、脳の能力を少しでも多く使用する事が出来るようになるかという実験が
自分自身で成功させることで、これから何かに向かっていくときのプラスになる
と思うので、成功させたいと思ったりします。

 あまり時間はないのですが、その中でどれだけ覚えられるのかという
限界値まで仕事をしながらどこまで出来るかを試してみたいと思います。
あと一ヶ月です。やれるだけ、やっていきます。
2011-09-21 : 作品作成日記 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

寂しいなんてさ

人恋しさを
紛らわすように
平気な顔をして
真っ赤な楓を見上げて

色づく季節に
過ぎ去る季節に
この瞬間が散っていく

寂しいなんて
言ってられないよね

だってさ
この道を歩いていくと
そう決めたのは僕なのだ

僅かな
希望かもしれないけれど
掌を開けば
そこには想いがあって
それに向かっている

秋風が
どれだけ心に
吹き付けても

寂しくないんだ
そう、この道を歩んでいく
その覚悟をすれば
それで良いんだ

自分が自分の世界を
少しづつでも
創造していく覚悟

寂しいなんて
人恋しいなんて
そんな事ないよ
多分ね・・・
2011-09-21 : 恋愛詩 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

実験中

 学習には心理的な面が影響を及ぼし、はかどる事もあれば
停滞を迎える事もあります。それを打破するには、やはり心で
どんなに戦略的に物事が出来ていても、それを行わなければ
何も変わっていかないので、やはり最終的には行動をしなければ
なりません。

 勉強をしなければならないという事ですね。
本当に当たり前のことなのですが(; ・`д・´)
どれだけ計画を立てても、どうしても、やりたくなくなる
ときという日が存在します。

 この機会に意識、心理的な実験を自分でしてみようと
思い立ちました。

 性欲と学習の結果を結びつけることです。
「合格」と「性的行動」を結びつけるために
合格という事を解除条件として設定し、「合格したらエッチな事が
出来る」というようにしました。

 性衝動が最も人間を動かす力だと言うのなら、この解除条件は
とても大きな意味を持つはずです。合格しなければ本能的欲求を
満たす事が出来ないわけですから、それは必死になる・・・:(;゙゚'ω゚'):
と思うのですが。。。自分にそこまでの性的欲求があるかは、最近疑問
ですが・・・それでも多分最も大きいのは性的欲求だと思うので、それを
利用して、「合格」を解除条件として性的欲求と結びつけて学習の
効率化を図りたいと思います。

 あと一ヶ月と三週間しかないので・・・どうなるかは分かりませんが
性衝動でも何でも使って、出来るところまで走りたいと思います。
2011-09-20 : 行政書士試験 : コメント : 2 : トラックバック : 0 :

アリガトとサヨナラを繰り返して

アリガト

サヨナラ

どんな
問題もこの二つの言葉が
片付けていく

アリガトの笑顔

サヨナラの泣き顔

でも
最後にアリガト

全ての
はじまりの言葉も
終わりの言葉も

アリガト

サヨナラ

どんな顔をして
サヨナラを言う

どんな顔をして
アリガトウを言う

この関係を
どちらの言葉で
締めくくるかな

その可愛い瞳に
涙をいっぱいに溜めて

苦虫を噛み潰したような
でも悲しそうなその瞳に
いっぱいの涙を溜めて

どちらの言葉で締めくくる

アリガト

サヨナラ

どちらの言葉を
使って関係が終わっても
二人は明日を夢見て
生きていくから


アリガト

サヨナラ

を何度も繰り返して

何度でも
アリガト
サヨナラ

そんな言葉を繰り返して
生きていくんだ
色々な事を抱えてさ
2011-09-20 : 恋愛詩 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

そんな気持ちには

この平凡な日常でさえも
これだけ切なくも儚いのに
これ以上の事を抱えるほど
僕の心は強くないんだ

過ぎていく時間が
儚く胸を締め上げ

どうする事も
出来ないというのに

その瞬間を
君と肌を重ねて
あまりに幸福に
過ぎていく時間の儚さに

桜が散る
瞬間のような
切なさ以上の感情を
抱えていられるほど
僕は強くないんだ

だから
どれだけ求めても
手を伸ばしても
その綺麗な
肌に触れても
唇を肩に押し付けても
どんな言葉を重ねても
出来る限りの事しか出来なくて

それが
魔法でも何でもない
ただ一人の人間の行動で

それが
この世界の法則を変えない事実を
痛い程に抱えなくてはならないから

一人の時間でさえも
こんなにも痛いというのに
他の人と過ぎ去る時間の
切なさ 儚さになんて
耐えられるはずがない

あまりに綺麗な時間は
過ぎ去るから美しく
儚くも刹那的で
生命の躍動を伝えるけれど

感受性が
心を壊してしまうのなら
あまりに苦しいではないか

今の僕には
抱えていられない事を
痛いくらいに実感している

だから ごめんね
僕は適当にしか振舞えないよ
求めても 求めても 求めても
足りない 足りない 足りない

そんな気持ちになる
自分の存在を知っているから

それで一度
僕は狂ってしまったのだから

もう、あんな気持ちには
なりたくないんだ
あの時のような気持ちを
もう二度と味わいたくないんだ
2011-09-20 : 恋愛詩 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

その哀しみを~

僕は君の哀しみとか
それを引き受ける事は
出来ないけれど

そんな
魔法使いみたいな事が
出来たらいいのだけれど

僕はやっぱり只の人間で

こうして
君に触れることくらいしか
そのくらいの事しか出来ないから

精一杯に
君が泣き止むまでの間
こうして、抱いていよう
君が眠ってしまうまで
2011-09-20 : 恋愛詩 : コメント : 2 : トラックバック : 0 :

デザインって・・・小学生みたいになってしまった・・・:(;゙゚'ω゚'):



 せっかく製作したのでUPします:(;゙゚'ω゚'):
小学生というか・・・なんと言うか、かなり幼い雰囲気になって
しまいました(;・∀・)

 配色のせいでしょうか:(;゙゚'ω゚'):
もっと研鑽しなくては(; ・`д・´)
2011-09-19 : 恋愛詩 : コメント : 2 : トラックバック : 0 :

憂鬱の理由

憂鬱になるのは
外部的要因でもなくてね

自分が
決めたことさえも
上手に消化していけない

そんな自分の行動に
幻滅をして
自分を許すこともせずにさ

それが余計に
憂鬱にさせるなんて
考えた事もなかったけれど

それに
気付いてみたら
随分と馬鹿馬鹿しくてね
笑ってしまったよ

心が赴くままに
決めた事に
恐れずに向かえば
それで自信が生まれるのに

それを
しなかった自分がいて
それが憂鬱の理由でさ

笑っちゃうよね
たいしたことじゃないんだ

今までのことなんて
もういいんだよ

この瞬間から
もう一度
心に決めた事を
はじめていこうか

その繰返しで
憂鬱は吹き飛ぶのだから
2011-09-19 : 啓発詩 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

希望の光

いくつもの
失敗を繰り返して

それでも
笑って立ち上がった
泥だらけの少年

こんなに
大きくなって
大人になって
日常に潰された

心によどみを感じて
あの日を思い出して

大きな銀色の
腕時計を外して
地面に叩きつけて
ネクタイを外して
走り出した

怪我をしても
笑っていられた
あの頃の気持ちを思い出して

こけても
怪我をしても
落ち込まなかった
あの日を思い出して
2011-09-19 : 啓発詩 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

恐怖政治の原因要素の現在の構造

 誰もが何が起こるかなんて分からない。
でも、その結果に応じて責任をとらなければならないのは
事実であって、それは誰もが平等に負うべきはずの責任である
という事が原則です。

 民主主義は、その責任を分散し、国民の代表が国を運営していきます。
僕はここ最近の民衆の声というものが、随分と自分勝手で他人の責任に
して自分は安全なところから文句を言っているように思います。

 何かが悪くなったら全て政府や国の責任ですか?
確かに非難されるべき部分はりますが、その国の運営をしていく
人々を選んだのは国民です。国や政府が勝手なことをしたから
酷い結果になったという論調は裏を返せば、「私は関係なかったのに
勝手なことをされて被害を被った」という心の現われ以外の何者でも
ないと僕は感じています。

 結果責任を全て負って何かを行っていく事が政治だというのならば
だれがそんな慈善事業みたいな事をやりたいと思いますか?
誰が政治を行っても必ず問題が起きる。その責任が全て自分だけに
跳ね返ってくるような制度であったら、誰が国の統治に参加したいと
思いますか?

 それにこの国は民主主義なのです。それをお忘れなきように。
国がそうしたのではなく、あなたが選んだ人々の判断、つまりは
あなたの判断が結果を起こす要因の最小構成要素なのですから
その自覚をお忘れなきように。

 現在の感情で動く民衆が、それ自体を民主主義と勘違いして
しまい、それが優性になると恐怖政治になります。ナチスドイツを
変わらないことになります。

 少し立ち止まって考えてみて下さい。第三者の立場にいるはず
であるのに興奮している方などは、一度考えてみて下さい。
第三者という調整の働かない、当事者同士しか存在しないような
そんな対立構造を描いてはいきません。

 多数第三者と、少数当事者という構成をとらなければ、まともな
判断は導き出せないのですから、全員が当事者になるような
知性無き感情論で多数を形成するのは絶対に止めなければなり
ません。

 恐怖政治の構造と全く同じ事が起こってしまいます。
2011-09-19 : 作品作成日記 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :
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プロフィール

NORI SA

Author:NORI SA
【SEX】
Man

【My Activity】
文章作成/詩/創作活動/写真/
WEB/エッセイ/学術関連文書/
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【My Works】
企業内法務/事業企画運営管理/
国外取引契約業務/
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