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不条理な自己責任

 年末でもうすぐ年明けなのですが、決して明るい話題ばかりでは
ない昨今なので敢えて重い文章を綴ります。
 
 最近ではまた自殺が増えていると言います。
救いのない世界では人の精神の逃げ場がありません。
 自己責任とよく言われますが、本当に自己責任だけを
前面に押し出して、それが正しいと言えるのでしょうか。
私には正しい答えは分かりませんが、精神の逃げ場は必要だと
感じています。

 逃げ場という表現を使ってしまうと何かネガティブな
イメージになってしまうのですが、他に適切な表現が見つからないので
敢えてこの表現を使いますが、心の逃げ場は必要だと思っています。

 なんでも、責任を押し付けてはいけないと僕は
思っています。必要最低限の責任というものは確かに
あると思うのですが、例えばサラリーマンで営業部にいると
しましょう。その人の成績が悪く、売り上げがたたないのは
その人だけの怠慢でしょうか。それとも会社の製品の魅力が
ないからでしょうか。

 どちらにも原因があると思います。
最近は売り上げがたたない個人が悪いと自己責任を
押し付ける会社が多いようですが、会社はチームです。
全て自己責任にさせるような態度の会社は会社ではないと
感じるのです。
 組織に入ったのにも関わらず個人が全ての責任を持つのなら
そもそも個人事業でも起こしたほうがよほど道理にあった
自己責任を果たせるかと思うのです。

 最近は自己責任という言葉がうまく利用されている
気がしてなりません。
 また不条理な自己責任から自殺に追い込まれる人もいます。

 会社は利益を出してこその会社だと言われればそれまでの
話ですが、利益が出ない原因を営業マンのせいにして、そこに
自己責任なんて言葉を持ち出せばさも道理にかなっている
ように見えますがそれこそ会社が自己責任をとっていない
のではないのでしょうか。

 会社という組織は、売れても、売れない事にも責任を持つ
義務があります。それを営業マンや従業員の責任として持ち出すのは
間違ったことであると感じます。

 ここでは、このような会社の場合に限りますが
そのような会社で働いていて自殺をしようと考えている
人がいるのなら、そんな会社辞めてしまえばいいと本気で
思います。

 働かなければ稼ぐことは出来ませんが
会社を辞めたって、自殺なんてするよりはよほどましです。

 そして、もしその人が愛されているなら、そして誰かを愛しているなら
自殺なんて選択枠は無いはずです。
 
 不条理な自己責任で自殺しようとしている方がいて
もし、この文章を読んだのならそんな会社辞めてください。
そして自殺もやめて下さい。

 そのような人がご自身の身の回りでいたとしたら
会社なんて辞めてしまえと言ってあげて下さい。
 不条理な自己責任は、その人の責任ではありません。

 不条理な自己責任の重圧での自殺がなくなりますように。

 そして、来年からは新しくまたはじめられますように。
そして、一年を過ごし、また新しい年を迎えられる人が増えますように。
心からそう思います。

 この文章が少しでも役に立ちますように。
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2009-12-31 : 精神世界 : コメント : 8 : トラックバック : 0 :

書きたい瞬間は突然に

 ショートストーリーを書き終わった後、必ず何かもっと
文章を綴りたくなります。
 それはタイピングしている事が心地よいからなのでしょう。
書くことが自分の中で決まっていて、それをタイプしている瞬間という
のは本当に心地のよい瞬間の一つであると思います。

 タイピングの音がさらにその心地よさを増長させます。
中学生の頃、高校生の頃はまだここまでパソコンでタイピング
することはありませんでした。
 僕の世代は中学生の時にようやくインターネットが普及しはじめた
頃なのですが、まだインターネットが月額制ではなく電話使用料を
かなり高額に取られる時なのでインターネットを自分で繋ぐなんて
そんなこと思ってもいませんでした。

 よって、その頃の僕は紙とペンが表現方法の全てと
言ってもよいくらいでした。けれどパソコンとインターネットの
普及で自分が表現できる幅が確実に広がり、文章も本を出版しなくとも
こうして皆さんにお伝えすることが出来ます。

 表現行為をする時に、これほど恵まれた環境はないと感じます。
それだけ幸福で恵まれた世界に生きているということに感謝をしつつ
文章を綴っていきたいと思うのです。

 肩は確かに凝りますが、それでもタイプしている時間は
大変に心地のよいものです。
 インターネットの普及が良いことなのか、または悪いことなのかは
分かりませんが、少なくとも僕にとって表現する場所を与えてくれている
大切な通信インフラであることは間違いありません。

 この環境に感謝して、そしてもっと文章を書き続けて
いきたいと思うのです。
2009-12-30 : 作品作成日記 : コメント : 6 : トラックバック : 0 :

彼女が遺したもの

 
 婚約をしたときから彼女がいつこの世界からいなくなるか
分からない状態であったことは、彼女の両親はもちろん
僕の両親も知っていた。

 それでも僕は彼女と結婚しようと思ったのだ。

 彼女に残された時間の中で僕は彼女と結婚し有限だが
愛に溢れた毎日を送りたいと思っていた。
 僕は病室で化粧も出来ない味気ない毎日の彼女が
少しでも楽しくなればと思い、毎日病院に通って彼女という
キャンパスに僕の精一杯技術を使い化粧をほどこした。
 メイクの仕事でモデルに化粧をしている時には
味わったことのない切なさをこらえながら僕は丹念に、
丹念に彼女というキャンパスに精一杯のメイクをほどこしたのだ。

 そんな生活の中で、僕は仕事を少しづつ失っていった。
それは、僕がフリーのメイクアップアーティストで
クライアントの仕事を断るようになっていったからだ。
それは、彼女と少しでも長くいる時間を作るためにも
僕としては仕方のないことだった。
 有限の彼女との時間の中で、僕はモデルに化粧を施す
という仕事をしている余裕なんて殆どなかった。生活できる
程度の仕事をこなすだけで精一杯だった。
 
 当然僕の仕事は途切れた。
けれども貯金はあった。もちろん、彼女の最後を看取るくらいの
余裕と結婚生活をおくるくらいの余裕はあった。
 でも、その貯金を切り崩す前に彼女はこの世界から
いなくなってしまった。
 
 分かっていても人がいなくなるということに
涙を流さずに耐えられる者がこの世界にどれくらいいるだろうか。
愛しい人がいなくなって涙を流さない人がいるのだろうか。

 死化粧は僕が行った。
僕が本当の最後の最後に彼女にしてやれることは
これくらいのことしかなかった。僕は冷たい冷たい
彼女の顔に、まるで少女のような、そしてまだ生きている
かのように見えるような血色良く見える化粧を施した。

 でも、それは何時間も何時間もかかった。
なぜなら、化粧を施している最中に僕の涙が
彼女の顔に落ちるからだった。その度に僕は
やり直した。何度も、何度も。。。
 そして、時間を止めてしまいたいと想いながら。


 彼女がいなくなって僕は途方にくれた。
予定より早くいなくなってしまった彼女の事を想い
何もできなかった。
 メイクアップアーティストとしての信用も既に失い
メイクの世界に僕の居場所はなくなってしまった。
仕事もない。そしてこれから自分は何をしていけばよいのか
ただ途方に暮れてしまった。

 彼女がこの世界からいなくなることは決まっていた
ことなのに、ただ時期が予定より少し早かったというだけで
僕は途方にくれてしまった。

 仕事のないまま、僕は金なんて持っていても
仕方ないというような調子で、夜の街を彷徨い
飲み明かした。
 毎日僕は飲み歩いた。

 ある日入ったキャバクラでお客と喧嘩をして
水をかけられたキャバクラの女の子がいた。
 キャバクラでは以外にそういうことがあったりする。
黒服がすぐにその客を店の外に連れ出したが、その女の子は
相当なショックであったのか俯いたままだった。

 僕はなんとなく声をかけたくなった。
女の子は声を出さないようにしていたが
水をかけられた上に、瞳の奥からどんどん溢れて
くる涙でその化粧は崩れていた。

 僕は自分の職業を黒服につげ、どうにかその女の子に
化粧をさせてもらえないかと頼んだ。もちろん断られたのだが
その話を聞いていた女の子は「化粧直しが必要だから」と僕の
申し出を受け入れてくれた。

 店の奥に通され、僕はモデルにしていたように
メイクをはじめた。真剣に。久しぶりだから、失敗しないように
慎重にメイクを施した。そして彼女を想い出しながら。
 メイクが終わった後、女の子は小さな声で僕に礼を言った。

「こんなに優しいメイクはじめてみた。誰にやってもらっても
こんなに上手くいかないのに。あなたのメイクは素敵。
ありがとう、あたし元気でた。また頑張れるよ」

 僕も驚いた。自分でメイクをして、その仕上がりに驚いた。
彼女がこの世界からいなくなってはじめてしたメイクは今までの
自分のレベルでは到底不可能な領域のものだった。
 心で何かを感じることが出来るようなそんな仕上がりだった。

 彼女が僕に遺してくれたのは、彼女への愛に溢れたメイクだった。
愛しているという感情が遺してくれたのは、優しいメイクだった。

 僕はまたメイクを人に施す仕事をしようと思った。
この彼女が遺した愛あるメイクで誰かが幸福になれるように、
そして彼女が存在した証を消してしまわないようにと。
 
2009-12-29 : 短編集 : コメント : 6 : トラックバック : 0 :

彼女の偉大さ


 私には彼女がいます。もう6年ほどお付き合いをしていますが
本当に大切な人です。彼女が与えてくれる感情は私にとってはかけがえのない
もので、それは偉大で、愛すべきものです。

 何をどのように与えてくれるということではなくて
その存在がただ愛しく、一緒にいる時間がただ私の人生を彩ってくれます。
正直、今の私はまだまだ学問を修めている最中で、未来も分からない状態です。

 彼女より私の方が6歳下なので、正直彼女だってまだ勉強をしている
私の姿を見て不安になるときもあるかと思います。
 でも、彼女はただ頑張ればいいと、そう言ってくれます。
そして好きなようにすればいいとも言ってくれます。

 内心不安なことがたくさんあると思います。
晩婚化したとは言っても、女性である彼女はもう30代になります。
男性である私が30代ならまだ大丈夫な部分も多いのでしょうが
これから時間をさらに共にして、そこに子どもが生まれるなどの
ことを考えると、もう時間が随分差し迫ってきている気もします。
現実的に高齢出産と言われる年齢に近くなってきているのですから
私は早く学問を修めて実務に出ないといけないと多少の焦りはあります。

 しかしながら、まだ2年ほどの歳月がかかります。
その中で私は精一杯やっていかなければなりません。
責任ももちろんありますし、そこには愛と呼ばれるものも
実感として確かに存在しています。

 私は彼女を大切な人だと思います。
風変わりな私と随分長く一緒にいてくれて、そして
愛想を尽かさずに今も笑ってくれます。

 そんな彼女が僕にとっては偉大で、そして愛すべき人です。
心から愛しています。本当に大切な人です。

 彼女が私を誇れるくらいになるように
私はまだまだ学問を修めることをやめる事は出来ません。
これは私のエゴも入っていると思いますが、私は強くなるため
そして、彼女が私を誇れるくらいの人間になるために必要な
ことなのです。

 彼女の時間も刻々と無くなっていきますが、僕の時間も刻々となくなって
いきます。
 その中で自分の出来ることを積み重ねて目標まで必ず到達したいと思います。

 そんな私を見捨てずに、そして励ましてくれる彼女はとても偉大で
とても強く、私が愛すべき大切な人なのだと心から感じ
そして愛しています。
2009-12-27 : 作品作成日記 : コメント : 2 : トラックバック : 0 :

真剣に自分の文章力を考えた日

 私はこのブログを書くときに殆ど推敲という作業は行っていません。
思いつくままに、心のままに書いています。ただ、なるべく読みやすく
なるようにと多少配慮しながら書いていますが、推敲をしていると
自分の思考の早さについていけなくなるので推敲なしで、なるべく
読みやすくなるように、そして的確に表現できるように努力をしている
つもりです。

 しかし、ご訪問頂いた方のコメントから自分の文章の足りなさを
切実に感じました。今回はコメントを下さったので、自分の至らなさを
学ばせていただき、それに加えてどのように思って文章を綴ったのかを
書くことが出来ましたので良かったのですが、もしコメントがなかったと
したら、私は自分の至らなさに気づかないまま、さらに傷つけてしまったことも
知らずに過ごしてしまうところでした。

 しかし、コメントを下さったことでそれが分かり
これからの文章、作品作りに生かしていくことを考えて
もっと文章のレベルを上げていきたいと思います。

 まだまだ学ばなければならないことがたくさんあり
私の表現力の足りなさを補っていきたいと考えています。
そして、少しでも誰かの心が振動するような文章、作品に
していくことに努めます。

 皆様、これからもよろしくお願い致します。
2009-12-26 : ただ書き綴る : コメント : 2 : トラックバック : 0 :

精神世界と現実世界

 人間は大きく分けて二つの世界の中で生きていると思います。
それは思考世界、言い換えれば精神世界です。もう一方は現実と
言われるこの世界の中です。

 精神世界は宇宙のように広く、自分自身にもその広さは確定できない
ものであると思います。
 しかしながら私はこの精神世界は個人だけのものではなく、精神世界は
皆が共有している世界だと感じるのです。不可解と思われる方がいると
思いますが、まさに愛するということは精神世界の出来事のようにも
感じるのです。
 見えないもの、手に触れることができないものを信じそれが
又、現実であると恋人達はその精神世界を共有することが出来ます。

 恋人達だけではなく、この現実に現れている物を
不思議なことに精神世界が包んでいる気がするのです。
例えば、海が好きな方にとって「海が好き」というのは
共通認識であり、それは又精神世界の中の出来事のはずですが
その思いが海のゴミを拾うボランティアとして現れたりします。

 あたり前のことのように感じますが、よくよく考えると
人間の精神世界から現実世界に浮き出てきたものばかりでは
ありませんか。

 多少この文章で意味不明な部分があるかと思いますが、
私がいいたいのは、人間は精神世界を共有し、そしてその精神世界の
活動が現実を作るということです。
 だからこそ、その精神世界の出来事、つまりはあなた自身が何かを
考えることから全てははじまっていくと思うのです。

 何かを変えたいと思ったら、自分がそのように思考することが
まずは重要なのではないかと感じるのです。
2009-12-25 : 精神世界 : コメント : 2 : トラックバック : 0 :

愛されていないと感じる人へ

 誰からも愛されていないと感じる人に少し言いたいことがあります。
というか、僕は質問したいのです。

「あなたは本気で誰かを愛していますか」と。

 求めてばかりじゃ周りの人も疲れてしまいます。
求められてばかりじゃ、周りの人だってあなたの
何を愛すれば良いのでしょうか。

 本当は違うんです。
あなたから愛する勇気をもたなくては
何も解決しないのです。愛されていないのではなくて
あなたが誰も愛していないのです。

 少し即物的かもしれませんが
何も与えてくれない人に、他人が何かを与えてくれると
思いますか。

 例えば両親があなたに与えてくれた愛は
あなたがこの世界に生まれてきた、生まれてきてくれた
ということを、あなたの意思ではないにしろ両親は
そんな愛すべき喜びを与えられたから、あなたを
愛してくれたのです。

 でもね、恋愛はあなたから愛さなければ
きっと相手も愛してはくれないのです。
 愛することなんていうけれどそれはとても
怖いことですよ。本当に怖いことだと思います。

 もし、その想いを撥ね付けられたら心が痛いことは
間違いないですし、何かしら相手の過去なども背負って
二人で歩いていく覚悟も必要で。。。

 でも、愛されることばかり望むのはただの傲慢です。
二人が愛し合うというのは相手のことを抱え込むことです。
痛みも、苦しみも、全て二人で一つになることなのだと
思います。

 でもね、愛されたいなら求めることが先じゃない。
あなたが先に愛することが必要だと思うのです。
 怖いかもしれませんが、どうかあなたから本気で愛してください。

 もともと、あなたの心には愛が備わっているのですから
それを誰かに、大切な誰かに使ってください。
 怖がらずに、勇気を出して愛してください。
 
2009-12-22 : ただ書き綴る : コメント : 11 : トラックバック : 0 :

キーボードー叩く速度と想像の速度の違い

 物語を書くときに、その風景などがまるでドラマを
見ているかのように思い浮かばないストーリーは
長く書き続けることが、僕にはできませんでした。

 書き出しはなかなか上手くいっているのに
その後、全く自分の中で映像が見えなくなって
しまうのです。

 そういうと少し正しくなくて、
多分小説、文章を書いている方は経験が
何度もあることだと思うのですが、
あまりに調子が良くてどんどん書きたいことを
思いつくのですが、そのスピードにキーボードを
たたく指が追いつかず、重要な場面へどのように繋げるかを
途中で忘れてしまったり、又、その場面までのストーリに
たどり着くまでキーを叩くのがじれったくなったりと
そんな事が、意外に皆さんも経験があるのではないでしょうか。

 想像のスピードがあまりに速く自分の書いている文章が
調子が良いときに限ってこの現象が出てきます。
 特に僕の場合は、早くその物語や文章の確信部分を書きたくて
少し我慢をしながら、その場面になるまでタイプを進めるのですが
そこにたどり着く頃には、とにかく疲れているのです。
 そして、どのようにそこへつなげる文章を入れるかという
重要な部分をすっかりと忘れてしまっているのです。

 キーボードを叩く速度が遅いわけではないのですが
どうしても、文章というのはイメージのスピードには
敵いません。
 
 実はそのような理由があって、最近はショートストーリーが
メインになってきているのです。
 これはいかに改善して、変えていくか、又、自分のアイディアを
いかにメモしておくかが僕の今後の作品作りに於いての課題だと
感じています。

2009-12-22 : 作品作成日記 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

ピエロ~ 笑顔の奥の孤独を癒す者

 街角のピエロはいつも日が落ちてビジネス街のビルが
きらきらと輝きだす時刻に現れて、そして冷たい街の中で
パフォーマンスをする。
 誰も足を止めなくても、ピエロは人を笑わせようと
おどけて見せるのだ。それが何とも悲しいことに見えただろうか。

 ピエロはいつも夢を見ていた。冷たい街に少しでも
笑顔を取り戻したいと。一人傷つき孤独に街を彷徨う人に
少しでも笑ってもらいと切実に願いながらパフォーマンスを
続けていたのだ。

 僕は東京に出てきてから妙な孤独感にさいなまれていた。
仕事は順調で周囲からは何もかも上手くいっているように
見えていただろうが、東京という街に知人はおらず
僕の知り合いといったら仕事の取引先だけだった。
 ただ、無機質な毎日が繰り返されていく。

 東京という街が妙に活気づいて見えるのは
きっと僕のような気持ちの人々が擬似的にでも
孤独ではないと馬鹿騒ぎして不安を隠しているように思えた。
 でも、皆が孤独に怯えて、このまま東京という
街の欲望に潰されてしまうのではないかという不安を
どこかしら感じていること、そして自分の存在がどこか
希薄に感じ、毎日を騙し騙し過ごしているのだ。

 僕はそんな冷たい街の中でピエロを見つけた。
人間としての彼の表情はその厚い化粧のしたに隠れ
まるで読み取ることは出来なかったけれど、彼を
見ていると僕は少しだけ温かい気持ちになることが出来た。

 それがどれほどに僕の心を潤してくれただろうか。
僕はこの気持ちをピエロに伝えたかった。ただ、ありがとうと
一言だけ伝えたかった。

 ある雨の夜。こんな日にピエロはいないだろと思ったが
僕はいつものピエロの場所に行った。そこで彼は、傘もささず
ただ笑顔で無心にパフォーマンスしていた。

 もう、これが最後の公演であるかのように。
そして彼は最後のお決まりのパフォーマンスが終わると
その笑顔のままで、雨で塗れたアスファルトに倒れた。
 そして最後の力を振り絞るように仰向けに大の字になり
彼の最後の無言のパフォーマンスがあった。
 それは笑顔だった。彼の最後のパフォーマンスは笑顔だった。
そう、彼は最後の最後までピエロだったのだ。

 行き交う人々は好奇の目で倒れたピエロの周辺に集まり
救急車が来たのはそれから随分してのことだった。
 
 その後、僕はピエロの姿をあの場所で見ていない。
いつものあの場所に笑顔のピエロは現れない。
 どれだけ待ってみても、毎日通ってみても
もうあのピエロは現れない。
 
 ピエロが現れなくなった日から一年が過ぎ
僕は確かに存在していた、あのピエロが倒れた場所に
花束を持って出かけた。

 ありがとう。また笑顔が見られるまで。と
僕はその場所で囁いた。
 
2009-12-21 : 短編集 : コメント : 4 : トラックバック : 0 :

ペルソナ~ 本当のあなたはどこにいますか

 人は社会的生き物で、人は個人でその性格を作りあげるわけではなく
環境への適応の為に多種のペルソナを持って生活を円滑にしていく。
 多重人格障害という精神病がまれにあるが、簡単にいってしまえば
多重人格であることが精神病なのではなくて、ペルソナが独立して人格
を持ってしまうことが問題なのである。

 さて本当の自分とは一体何を基準にして本当の自分なのだろう。
本当の自分だと思っている自分自身のメンタルイメージはたいして
あてにはならない。
 あなた自身の中にいるあなたは勿論あなたであることに変わりは
ないのだが、人の心の中、又は記憶の中にいるあなたがあなた自身でも
あるわけである。

 つまり、あなたという人格はあなたが関わっている各個人の中にも
存在するのである。

 そのように考えると、あなたとは一体誰なのだろうか。
どこを基準にして、あなたはあなたであると言えば良いのであろうか。
それは、考えても、考えても、延々と循環してしまい、解を導くことは
出来ない問題の一つであるのだ。

 心理学や哲学でこれを解き明かすことが出来るだろうか。
きっと出来ないと僕は確信している。
 でも、きっと自分は誰なのか、どれが本当の自分なのか
又、全てが自分なのか、と言う問いを自分自身に向かって
問いそれについて考えることは重要なことであるとも
感じている。

 そのような内証を繰り返していくことで
人は己の成長を促進することが出来ると思うのである。
2009-12-21 : 作品作成日記 : コメント : 4 : トラックバック : 0 :

思い出せない感情も文章に影響している

 人は全ての事を想い出せるようには出来ていません。
それは、人間の優れた機能で、また弱点でもあります。
記憶は一応は全て脳の中に記憶されています。

 しかしながら、僕は全てのことを鮮明に思い出すことは
出来ません。

 その中にきっと埋もれてしまった大切な
考え方や感情もあったのだと思います。
幼い頃の心の動きを今ではもう殆どを
思い出すことができません。

 こうやって文章を書いていると少しは
思い出せるのですが、それでももう褪せてしまって
います。
 断片は思い出せるのですが、なかなか
文章を書くための心を振るわせるまでの
想いを過去の記憶からたぐり寄せるという行為は
なかなか上手くいくものではありません。

 しかしながら、僕は今も文章を書くことをやめては
いませんし、それによって新しい価値観などを手に入れてきたことも
事実です。

 きっと無意識のうちにその記憶を使い
その幼い頃に体験した想いが少なからず
今の自分の文章に影響を与えていることも
あると感じます。

 ただ、本当に何を伝えたいのかそれを自分の中で
明確にしていかなければならないと感じます。
今、何を一番伝えたいのか、正直良くわかりません。

 しかしながら、内証を繰り返して、何度も繰り返して
僕は自分自身の言葉を紡いでいきたいと思うのです。
 そして後世に少しでも振動を遺せたらと思うのです。

 だからこそ、感じたことは素直に書いていこうと
思いますし、又、その文章が何の意味があるか分からなくても
僕はそれを書いていこうと思うのです。

 きっとその先に僕の求める答えはあると想います。
知識を得てそれを基に何かを書き、そして議論をし
感情が動き、また文章を書く。
 文章を書く、文字を書くという行為に僕は随分支えられて
そして、生きているのだとしみじみと感じます。

 今日は何を書きたいのか自分にも良く分かりませんが
とにかく何かを書きたくて文章を綴りました。
 
2009-12-21 : 作品作成日記 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

文章を書くという行為

 文章を書くという行為の中で僕は何を書いていけば良いのか、
何を遺していけばよいのか、そして自分が何を書きたいのかという
ことを本気で考えなければならない時に来たのだと感じています。

 そして、ここ最近気づいたことが、僕は文章を後世に遺したいのだ
という自分の欲望に気がつきました。何かをこの世界に遺したいのだと
強く感じました。

 でも、実はよくよく考えてみると僕が詩や小説を書き始めた頃にも
それを意識していたのです。
 文章を書くようになったのは小学生の4年生頃からでした。

 この世界に何かを遺すこと、何百年も先の未来の人々にも
読まれるような文章を遺す事がどれだけ尊いことなのだろうと
思っていました。

 きっと、その頃から僕の文章に対する想いは何も変わっていないのです。
ただ少し大人になった分だけ文章を書く理由を求めるようになって
しまっただけで、文章を書く本質は僕にとって何も変わっていないのだと
感じています。

 感じていると書くと、なんとなく違う気もしますが
適切に表現できる言葉がみつからないので、このような言葉を
使っていることも自分ではわかっています。

 もっと、人に何かを伝える文章を書いていきたいと思います。
人の心に振動を遺せるような、そんな文章を書き綴れるように
なりたいと、心からそう思います。
2009-12-18 : 作品作成日記 : コメント : 6 : トラックバック : 0 :

時間は過ぎ去る

 時間は僕の前からどんどんと過ぎ去っていく。
意に反して僕の時間はどんどん過ぎていく。
 どれだけのことを僕はこの世界に振動として
遺すことが出来るだろうか。

 時代が少しずつ変わっていきます。
僕の気づかないところで、又は私達の気づかないところで
時代は動いています。
 今、この瞬間に生きている私達は時代が少しづつ
変化するそれに気づかずに通り過ぎていき
過去を振り返ったときその豹変振りにあらためて
驚くのです。

 でも一つ変わらないものは
愛という不確定な人間の根本的感情だと思います。
人を想い、尊ぶその心だと感じます。

 何かが変わっても人間の本質はいつの時代も変わりません。
愛しいというその気持ちはいつの時代も本物であって
変わりない人間の本質なのかもしれません。

 昨日から今日の朝にかけて僕は海外の企業に提出する
企画書を作成していました。ビジネスをするためのものです。
でも、それを書き終わった後、ふと感じたのです。
 この経済体系は存続するのだろうか。。。と。

 きっと、続かないと思います。僕はそう確信しています。
続けられるわけがありません。
 でも、現在の経済体系が終わったと言っても
きっと変わらないものもあると考えたとき
きっと、それは愛なのかもしれないなと思ったのです。
2009-12-18 : ただ書き綴る : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

新しいキーボード

 たまには自分のパソコン環境のことを書いてみようと
思います。作品とか想いとか、ちょっと難しいことは
置いておいて気に入ったキーボードのことを書きます。

 僕は勉強をする時も、仕事もとにかく文章を書く機会が多く
パソコンが手放せません。
 パソコンに向かって企画書や論文などを長時間書いていると
大変肩が凝って大変で、頭痛まで出てくる始末です。
 そこで、きっとキーボードの形状が悪く小指に無駄な負担が
かかっていることが原因で肩が凝るのだと思い新しい形状の
キーボードに変えました。

 慣れない間は感覚が少し違うので何か違和感がありましたが
無理なくブラインドタッチが出来るのでだんだん疲れにくく
なってきました。

 買ったのはMicrosoftのcomfort curve keyboard 2000という製品です。
このキーボードは形状が特殊で負担がかかりにくい曲線の形状をしています。
以前のキーボードでは小指で「。」などの部分のキーを押すのに無理をして
いましたが、このキーボードでは自然に届きます。

 パソコンをハードに使う仕事の方には大変お勧めです。
またブログの更新が頻繁で文章の量が多い方にも大変お勧めです。
疲れやすいと思ったら、皆さんもkの製品をチェックしてみてください。
値段も3000円を切る値段なので手ごろで性能もよく大変良い商品だと思います。

 肩凝りの酷い方はキーボードを変えてみると少しは改善するかもしれ
ません。
 
2009-12-17 : 作品作成日記 : コメント : 1 : トラックバック : 0 :

性愛

 最近はあまり聞かなくなりましたが純愛ブームなんて
ものがここ最近あったと思います。
 世間一般の純愛感はどこか変で心の中で相手を
想うだけという者で、性愛は汚いものだと言わんばかりです。

 僕は恋愛に於いてセックスは重要なファクターだと思っています。
セックスは確かに醜い欲望が混じることもあることは確かで
過剰な性欲によって、男性、女性を問わず意に沿わない
行為がされることもあるのは事実です。レイプなどはその典型です。

 しかしながら、欲望としてセックスがあるとは言え
それを汚い行為として排除してしまっては愛を語ることは
出来ないと思うのです。

 セックスは気持ちよい行為であることは間違いないし
それに真摯な想いがあれば、相手との最高のコミュニケーション
手段になることも間違いないと思うのです。
 互いに一番弱い部分を見せるわけで、そして汚い部分も
全てをさらけ出す行為を互いに共有したら、そこに信頼が
生まれないはずがありません。

 どのようにしろ人間にとって性愛は重要なファクターで
あることは間違いないと感じるのです。
 相手のことを本当に想いながら互いに最高の時間が
過ごせるように工夫して最高の感覚を共有することで
より強く男と女は愛し合えると感じます。

2009-12-17 : ただ書き綴る : コメント : 2 : トラックバック : 0 :

宗教家は何をしているんだ

 知人と仕事の終わりに食事をした時に、日本の経済の話になりました。
彼は教養深くそして色々な事を自分の頭で考えて動いている人です。
 その時、「たかが金で自殺なんてするなんて。それは悲しいことだ。
金なんて合法的に踏み倒せばいいのに」と言っていました。

 僕もそれには同感です。
しかし続けて彼はこう言ったのです。
「こんなにも時代が荒れていて心に助けを求めている人がたくさん
いるというのに宗教家は何をやっているんだ」と。

 こんな時代だらこそ宗教が信じられたっていいではないかと
彼は言ったのです。
 彼は決して信仰深い人ではありませんが、たかが金で
自殺してしまうのなら、宗教がそれを助けたって良いではないかと
言ったのです。

 確かに宗教には胡散臭い部分があることは否めません。
しかしながら、例えそれが胡散臭くて壺を買わされたって
もしそれで心が安らいで、自殺をする人がいなくなるのなら
それは、価値のある事ではないかと彼は言ったのです。

 自殺だけは避けなければならないと僕は思います。
確かに人間だけが与えられた特権が自殺であると思います。
僕は少なくとも以前はそのように考えていて自殺をすることが
悪いことだとは思いませんでした。

 しかしながら、生きているということはなんと尊いことかと
思った、それをパニック障害から学んだ僕にとって自殺は肯定
するべきことではないと思うようになっていました。

 特に金の事で自殺などするべきではないと思います。
確かに事業を行っている人にとっては色々な人に迷惑をかける
ことになるかもしれません。
 でも死んで、それが終わりになるかといったらそうでもありません。
その苦しみは現世にしっかり残るのです。大切な人を守るためには
死ぬべきではないのです。

 色々な宗教がありますが、基本的に宗教は人の生命を尊びます。
それをもっと多くの人になぜ説いていかないのだと彼は本気で言いました。

 きっと、僕は彼のこの言葉を一生忘れないと思います。
「宗教家は何をしているんだ」というこの重い言葉を僕は
胸に刻みつけて生きていこうと思います。

 
2009-12-17 : 精神世界 : コメント : 2 : トラックバック : 0 :

月夜と永遠

 
 彼女は月明かりが指す部屋で窓際に膝を抱えて座り
そして、その美しい月を眺めていた。
 彼女は少し変わっていて月が綺麗な夜は部屋の明かりを
つけなかった。付き合い始めた頃、彼女にどうして明かりを
つけないのか聞いたことがある。
「月夜が好きなの。明かりをつけると月夜が台無しになるでしょ」と
彼女は微笑んでまた月を眺めるのだ。そんな彼女の月明かりに照らされた
横顔が僕は好きだった。この世界で一番美しいのではないかとさえ思っていた。

 今日も彼女のいつもの他愛のない行動だと思っていた。
ただ美しい月の明かりを眺めているだけのだと僕は思っていた。
けれども、その横顔がいつもとは全く異種の美しさをしていた。
まるで何かを決意したかのように、そして冷たく永遠に何かに
閉ざされてしまいそうな雰囲気の横顔だった。

「ねえ、あたし今日で終わりにしようと思うの」
彼女が囁くように小さく言った。
 何を言っているのかよく理解出来なかった。
今まで僕はうまくやっているつもりだった。
彼女が別れ話を持ち出しているのだとは分かったが
どうして互いの話し合いもなく一方的にそんな言葉を
出されているのか僕にはやはり理解できなかった。

「それは僕達の関係のことか...」僕は恐る恐る問いを返した。
「そうじゃないの」と彼女から予想外の答えが返ってきたので
僕は余計にわけが分からなくなった。
「それ以外に何を終わらせるんだ」 
「あたし今日、この命を終わろうと思うの」

 絶句する以外に僕はどんな反応が出来ただろうか。
この返答に対して何をどのように反応したら良いのだろうか。
いきなり感情的になることも出来るわけがない。
 まず意味を理解することが出来ないのだから。

 立ちつくした僕の前に来て彼女は背伸びして
僕の唇にかるくキスをした。いつもの温かな彼女の唇は
全く変わらないのに、この状況の変化は一体なんなのだろうか。

 そして彼女は僕の胸に顔を埋めて小さな声で語りだした。
「あたしはあなたが愛しくてたまらないの。あたしおかしくなってしまって
あなたが少しでも他の何かを考えていると物凄く嫉妬するの。でもそれは
とても変なことでしょ。例えば、あなたと散歩に行ったとき、あなたが
犬を連れている人を見て、あの犬可愛いねとあたしに言うだけで、あたしは
胸が張り裂けるのではないかと言うほどに嫉妬してしまうの」 

 僕はぼんやりと彼女の話を聞いた。
僕自身あまり正常な状態ではなく理解力も乏しくなっていた。
でも、彼女が今話しているほどに嫉妬をしている姿なんて
僕は見たことがない。彼女はいつも静かで穏やかで美しい
存在だった。僕にとって一番大事な人なのだ。

「あたし気づいたの。時々あなたを殺してしまえばもう嫉妬なんて
しなくて済むし、あなたはあたしだけの存在になるってそう思ってしまうことに。
実は何度も、あなたが眠っている間に首を絞めてしまおうと思ったことがあるの。
何度も何度も何度もよ。でも、あたしそれだけはなんとか抑えてた。
あなたの体を激しく求めることでなんとかやり過ごしてきたの。
でも、そろそろ限界なの。あたし。。。」

 だから僕にどうしろと言うのだ。

 しばらくの間沈黙が続いて僕は彼女を胸に抱きしめたままでいた。
そして、その沈黙を先に破ったのは彼女だった。
「最後に抱いて欲しい。そしたら、あたしその後にあなたにあたしの最後を見届けて
欲しい。あたしの命が終わる瞬間を。」

 彼女の精一杯の独占欲だった。
切なくて、痛くて、痛くて、切り裂かれそうなほどの
彼女の愛だった。これが、愛なのだろうか。
 
 でも、僕は見届けた。彼女の終わる瞬間を。
確かに愛は永遠にと葬られた。
 その後僕自身も気が狂ってしまったが、これで彼女も満足だろう。
僕は彼女だけの存在になった。全てが狂ってしまった。
 僕も彼女も愛の使い方を間違えてしまったのだ。



 こんな愛は許されますか....... 


2009-12-16 : 短編集 : コメント : 2 : トラックバック : 0 :

君ならなんでもやってしまいそうだ


 ずっと幼い頃から色々な事を好きになって
何でもやりたいと思っていました。

 考古学者になってピラミッドを研究したい、
恐竜の化石を発掘したい、探険家になりたい
タイムマシンを作りたい、作家になりたい
そして幸運なことに色々なことを体験してきました。
それは両親が快く僕の興味に対してストップをかけず
何でもやらせてくれたからです。

 そして大学生になってからは司法試験を目指して
法律科目以外にも、たくさん興味のある分野を発見して
そして勉強にのめりこんでいきました。

 正直、今の僕は傍目から見たらきっと胡散臭いと
思います。正直そう思います。為替トレーダーとして
企業と契約を結んでトレードを大学在学中にしていました。

 かと思うと、僕は来年には既に留学が控えていると
言うのにも関わらず会社を興すと言ったりしています。
他にも、自分で仲介の仕事を持っていたりします。
だからこそ余計に胡散臭く見えるようです。

 でも、その中で知り合った友人の一人に言われたのです。
「君が言うと本当に何でも出来るような気がしてくる。
君なら何でも出来るよ」と。

 それを言われたのが2年前のことです。
今日、ふとそれを思い出しました。

 「二兎追う者は一兎も得ず」と言う諺があり
何かを極めようとすればその諺の通りなのかもしれませんが
僕は自分の中の新しい考え方や成長の為に色々なことをして
いるのです。確かにやっていることを見れば諺のように
なるのかもしれませんが、僕が追っているのはただ一つ
自分の中の答えにたどり着くことです。
 
 2年前の彼の言葉を心に響かせて
僕は色々なことをしていきたいと思います。

2009-12-16 : 作品作成日記 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

天井

 夜が明ける瞬間は僕を憂鬱にさせる。
夜は少しだけ人の醜さも、欲望も隠してくれる。
けれども、太陽が上れば自然に何もかも鮮明に
見えてしまうから、僕は余計に憂鬱になるのだ。

 人は綺麗なことばかりして生きていられない。
でも、それは仕方のない事で、そもそも生きている
ということ自体が格好の良いことではないのかもしれない。

 しかしながら、僕はそれを直視したくないのだった。
だから夜の闇にそっと身を潜めている時間が僕にって
心安らぐ時だったのだ。

 でも幼い頃はどれだけ朝が来ることが待ち遠しかったことだろう。
眠りにつくまでの時間が、幼い頃はとても退屈なことに思えていた。
早く朝が来て、砂場で遊びたい、かくれんぼしたい、なんて思ったり
していたのだ。けれども、大人になるにつれて人というものが分かり
はじめた頃、人間はそんなに綺麗なものではないと感じた。

 温かいと思っていた人間関係というものは幻想に過ぎず
それは下にはコールタールのような欲望が蠢いておりそれは
とても冷たいものだった。

 僕は証券マンだった。金融工学を学んで、そして
希望を持って金融の業界に飛び込んだ。
 しかし、そこで僕は金に翻弄される人々の生き様を
目の当たりにして、自分が抱いていた金融マンという職業は
まさに虚業であることを身をもって感じた。

 僕はただの証券マンだから、貸剥がしなどをすることは
なかったが、銀行との付き合いは多くそのような場面を
実際に見ることも数度あった。

 証券マンの世界は銀行のそれとは違ったえげつなさが
あった。全く金融知識のない人間に株式セミナーなどを行い
その場ですぐに勧誘するのだ。

「次はあなたが儲ける番です」「今が史上最大のチャンスです」など
金融の知識のない者を煽って新規の顧客を開拓していくのである。
 僕には合法的な詐欺のように思えた。

 僕はこの世界はもっと知的で自分が学んできた金融知識を元に
顧客と有意義に議論が出来るものだと思ってきた。しかし実際の
姿と来たらどうだろうか。

 セミナーには殆どが無知の高齢者ばかり。
時々、少し貯金を持っている大学生が参加する程度である。
そして、その中では欲望という黒いコールタールのような
流れが蠢いているのである。

 金そのものが宗教のように信仰される世界で
それを必死になって、ただそれだけを追い求める
ファイナンスはどこか間違っている気がした。
資本主義は生産があってはじめてそのシステムが
動き出すはずなのに、無知な生産者から強奪していく
手段がファイナンスなのだ。
 無知が悪いといってしまえばそれでおしまいの話なのだが
何かが狂っていると僕は思った。

 金融には人の生き死にまでかかる。
金で人の命を買うことができますか、と使い古された言葉を
今も使う人々は大勢いるが、実質的に人の命が金で買われている
ということを僕は身をもって体験しているのだ。

 僕はどのような価値観を持って物事を見ていけばよいのか
分からなくなっていた。何を考えるべきなのか、何が正しいのか。

 今日も僕は日が沈む頃に安らぎを覚え、そして朝がこなければ
良いと思いながらベットに寝転び天井を見つめるのである。
2009-12-16 : 短編集 : コメント : 2 : トラックバック : 0 :

死を意識する

 死を意識することで自分の生命が有限であって
その時間は永遠ではないということを感じることが
出来ます。

 人の死を目の当たりにすることも
たくさん何かを学ばせてくれるのですが
もっとたくさんのことを感じられるのは
自分の死を意識することです。
 今、殆どの健康な人々が自分の一日を
どのように使うかということを意識して
暮らしているでしょうか。
 少しでも刻々と自分の時間が終わりに近づいていく
ことを感じる事が出来ているでしょうか。
 以外に、それを感じられる人々は少数なのでは
ないでしょうか。

 私は死を意識しはじめてからもう2年近くに
なります。
 それは、自殺とかそのようなことではなく
パニック障害を患ってからそれを意識する
ようになりました。パニック障害は決して
死ぬようなものではないのですが、その
恐怖感といったら大変強烈でした。

 しかしながら、それのおかげで僕は
安全な中で死を意識しました。意識する
ことができました。

 意識が薄れそうになる瞬間にたくさんの
人々が自分を支えてくれていてこの世界に
生かされているということを深く感じました。

 それから、物事の見方が変化した気がします。
死を意識することで、生の尊さとそして醜さを
知ることができたような気がします。

 パニック障害は自分が望むようなことでは
ないのですが、ある意味、決して死ぬことはない
病気によってそれを真に感じられたことは
自分にとって無形財産だと感じます。

 この感情を大事にしつつ作品を作り
また、毎日を生きていきたいとも感じるのです。
 
2009-12-11 : 作品作成日記 : コメント : 4 : トラックバック : 0 :

失望も希望もない純粋

 失望と希望は裏表一体の関係で、
人の人生に於いては必ず失望と希望が交差して
複雑な人生模様を描いていく。それはきっと
殆どの一生懸命生きている人は同じで
重さも対して変わらないと思う。

 僕を失望させたのは、不況とか就職難とか
そんなことではなかった。
 
 僕はフリーのWebクリエイター兼デザイナーだった。
僕の収入の大半は作成したサイトの広告収入だったが
普通の生活が出来るくらいに落ち着いていた。

 僕は殆ど毎日、病気の彼女の見舞いに行き
病室で彼女が好きだという絵本を読んだ。
 それがいつしか、小児病棟の子どもも集まるようになって
いつしか、僕は小児病棟の子どもの人気者になっていた。
 僕がイタズラで子どもに蹴られたり、肩車をしてはしゃいだりする
姿を彼女は穏やかに見つめて微笑んでいた。

 彼女の入院も長引いて、もうこんな生活が半年以上続いていた。
ある日、いつものように僕は病院にいって絵本を読んだ。
 いつものようにたくさん子どもが集まっては来るのだが
何かが違っていた。一人子どもが足りない気がした。

 「そうだ、今日は大地がいないんだ」そう思うと僕は
看護師に尋ねた。
「今日は大地は具合が良くないんですか」
看護婦は少し困ったような顔をしてから小声で僕に向かって言った。
「昨晩、急に容態が悪くなって亡くなったんです」

 ああ、そうなのか。大地は死んだのか。
なんとなく、こんな日が来ることは分かっていたんだ。
大地の病気は難しいと聞いたことがあるから。
 悲しいとか、淋しいとかそんな気持ちではなかった。
ただ、どのような反応をしたら良いのか自分には分からなかったのだ。

 その後、僕はいつもと同じように絵本を読んだ。
子ども達は楽しそうにそれを聞いてくれた。
 そして僕の彼女も微笑んでいた。

 けれども何かが違った。
ああ、人は若くても死ぬのだ。
僕はそう思った。事実としてそれが分かった。

 大地は人生の模様を描く前にその命が
終わったのだ。僕が絵本を読んでいる時
大地はいつも楽しそうだった。

 自分の置かれた状況に失望もしていなかったが
また、希望も抱いていなかった。でも毎日を一生懸命
子どもらしく生きていたんだ。
 そこには希望も絶望もなかった。

 ただ、大地がその瞬間生きていて
そして子どもであるという事実がそこにあっただけだ。
それがどれだけ尊いことであろうか。

 僕は病院の帰り道空を見上げた。
そして「大地、また会おうな」と空に向かって
囁いた。その空は妙に青くてそしてまぶしかった。


 
2009-12-05 : 短編集 : コメント : 9 : トラックバック : 0 :

For the heart that calmed down

Intend to be it for a quiet heart; nowadays.
I intend to be it for a quiet heart not a fidgety heart.
Oneself changes for appearance, and it is not that a manner changes,
but thinks to only stare at things calmly.

 I say one's sense of values to an event in one's very front
I think that it is only such a thing without taking a filter
to easily understand it.

 And how does it move calmly?
I intend to stare.
 However, do not pursue an impression in there
I intend to do it.

 But is it stillness in the things for the heart that calmed down?
I intend to look.
 For some reason one's fixed sense of values
I feel that I become the quick wit to dissolve.

 I feel that it leads to flexibility to make a work.
What do you express how?
I am accompanied by things at the point in time when
I removed the filter of one's heart not such a way of thinking
once and think to add one's experience, a viewpoint
from learning as a postscript.

 Therefore for a heart quiet for a while
I intend to only stare at things in there without shaking a heart.
2009-12-04 : 英語学習中 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

静かな心で


 静かな心でいようと思う今日この頃です。
浮ついた心ではなく静かな心でいようと思うのです。
それは自分が外見的に変わるとか、態度が変わるという
わけではないのですが、ただ落ち着いて物事も
見つめようと思うのです。

 自分の目の前にある出来事に自分の価値観という
フィルターを持ち出さずに、ただそれはそういう事なのだ
と簡単に理解をしようと思います。

 そして落ち着いて、それがどのように動くのかを
見つめてみようと思います。
 しかしながら、そこに感想を求めないように
しようと思います。

 ただ落ち着いた心でその物事を静かに
見ていようと思うのです。
 何かしら自分の凝り固まった価値観を
溶かす機転になればと感じます。

 それが作品を作る柔軟性に繋がっていく
とも感じます。どのように何を表現するのか
ということではなく自分の心のフィルターを一度
排除した時点での物事を従えて、後付として自分の
経験、学習からの視点を追加していこうと思っています。

 だからこそしばらくは、静かな心で
心を震わせず、ただそこにある物事を見つめて
見ようと思うのです。
2009-12-04 : ただ書き綴る : コメント : 2 : トラックバック : 0 :

考え込む時

 何をしてもしっくり来ないときというのが
人には何度も訪れるものだと思います。
 今、私自身なにをすればいいのか途方にくれている
最中です。

 何をすればいいか考えていると言えば聞こえは
いいのですが、ここ最近正直言いますと何もしたくない
というのが本音です。

 何かを一生懸命考えて、考えた末
何かをしようとして、それをしているうちに
何かしっくり来ないものを感じる事が多い
のです。

 そして、ここ何日も、本当は何をどのように
していきたいのか???という問いと向き合って
みましたが答えが出るどころか嫌気さえさして
来たのです。

 何もしたくない。しばらくは何もしたくない。
それが僕のしたいことでした。何もしないという
ことを決めて何もしないという事をしたい、というのが
今の自分の心境です。

 穏やかに毎日を過ごしていきたい。
綺麗なものや出来事には素直に感動し
ただ目の前にある現実が真実であるという
ことを素直に感じたいと思ったのです。

 考え込むことはやめました。
好きなようにしてみようと思います。
脅迫観念のような、何かをしなければならない
という考え方ではなく、それをしたいからやろう
という自由な考え方に変えてみようと思います。

 自分のこのブログを書き始めたときは
世間一般ではまだまだこれから、好きなようにやれ
若いのだから大丈夫さ、という感じでしたが
もう既に4年程が過ぎ去って、僕も20代の後半を
目前にし、それでもまだしっかりとした足取りでない
自分がいて正直なところ焦燥感のような気持ちがあり
普段の生活の中でも、何かをしなければならない、という
強い脅迫観念を抱いていましたが、すっぱりそれをやめようと
思います。

 まっさらな心で、もう一度素直に
やっていきたいと思います。
 青い空を見たら、本当に綺麗だと心から
素直に思うような心持でやっていきたいと感じるのです。
2009-12-03 : 作品作成日記 : コメント : 1 : トラックバック : 0 :

何かを表現すること

 何かを表現するということは自分の中にある
イメージを実際の世界に出すということです。
 自分の頭の中、又は心の中にあるものを
この現実世界に出すという行為です。

 結局は自分をさらけ出さなければならない
分けですから、表現をするということは大変
勇気のいることでもあると感じます。

 だからこそ人は表現をしようとするとき
その作品の体裁をなるべく整えようとします。
しかしながら、それでは本物の作品にはならない
のです。少なくとも僕はそう感じます。

 自分の考えと心に正直な作品を作らない限り
表現によって自分を肯定することは出来ないと
思うのです。

 そして、飾った表現行為は長くは
続けられないと思うのです。
 なぜなら、自分ではないペルソナを作る
ことになり、その役柄を演じ続けなければ
ならなくなるからです。

 そもそも、自分の存在、心の在り方を
作品という形にありのまま表現して
この世界に存在を見出したいというような
想いからはじめはスタートするはずなのですが
ペルソナを作ってしまうと、息苦しい世界の
延長でしかなくなってしまいます。

 僕自身、作品に何かをさらけ出しているのか
又は、本当の想いを込められているのかは
未だに疑問ですが、正直な表現活動が出来ればと
感じるのです。
2009-12-01 : 作品作成日記 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :
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NORI SA

Author:NORI SA
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【My Activity】
文章作成/詩/創作活動/写真/
WEB/エッセイ/学術関連文書/
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