存在とは何か
存在とは一体何を意味して存在という概念が成り立っているのだろうか。
難しいようで、簡単なようで、答えをさらりと出すことが難しい概念だと
感じるのは私だけであろうか。
例えば、空缶のその空間は存在だろうか。
ドーナツの穴は存在なのだろうか、またそれは空白なのだろうか。
そして自分は本当に存在しているのだろうか。
存在という概念は人が何かを認識するから成り立つ概念であると
前提を立てると、たとえそれが本当に存在していても認識されなければ
それは存在していないことにはならないだろうか。
人は、自分が存在しているということを、自分以外の他人からの
情報によって認識するようだ。
とすると、私は存在していても他者の存在なくして私という存在は
ありえないことになるのだ。
しかしながら、実際にそこに何かがあるのに、認識していないということで
存在も無いということに私は違和感を覚えるのだが、存在とは一体なんなのだろうか。
自分は本当に存在しているのだろうか。
また、その他の自分が存在していると思っている事象や物は
本当にそこにあるものなのだろうか。もしかしたら自分が意識的に
それを統合して、脳が勝手にそれを見せているだけかもしれない。
どこに、何を求めたら存在というものが証明されるのであろうか。
どこに焦点を当てたら、存在という概念が自分の中でしっかりと認識される
のであろうか。
これについては、いつも疑問に思うし、違和感のあることだ。
もっと、何かを学習する必要があるようだ。
まだ生きていかなければならない。
しっかりとした考察と自分の中で統合するために
知識をしっかりとした体系としてまとめるために、私はまだ
生きていかなければならない。
明日もしっかり生きよう。そう感じるのである。
存在という概念をしっかりと見つめるために、私は
しっかりと生きていこうと思うのです。
You said
I think same her ,too.
But, rainy and rainy.
Tears fell down a lot of on the floor.
If she still alived I do not crying.
Not forever with her.
I feel hearing her voice...
She made me alone.
I sad... Just sadness.
I here live No means.
Goodbye...I said little voice.
悲しいこと
できはしないのに、心の動きを恐れて何も出来ないなんて
それは馬鹿げたことで、自分が自分でない証拠だ。
心が震えなければ、何かを書くことなんて出来るわけがない。
何を考えて、何を肯定して、そして何を否定するか。
全ては心を震わせながら行うことで、それに魂が篭るのだ。
心を振るわせることが出来ずに書いた作品には
何も篭らない。誰かの心に何かを与えることも出来ない。
大切なことは自分の心を振るわせることだ。
震わせる、振るわせる・・・どちらも同義で
人は良くも悪くも心が動くから何かを残すことが出来るのだ。
心が動くことを恐れて、動揺を恐れていたら作品など
残すことなど到底不可能なことなのだ。
怖がらなくてもいい。作品を残すために恐れは勇気に
変えられることを只無垢に信じていればそれでいい。
心が動かなければ、それ以上に楽なことはないのかも
しれない。けれども、それほど虚無で悲しい人生もないでしょう。
だからこそ、恐れを越えて・・・
心の震えを恐れず、それを素直に感じて
作品に昇華していく行為をやめてはいけない。
何もかもは自分の感じる心、動揺する心、
全ては己の中からはじまること。
それを感じ作品として昇華させること。
何も怖がることはない。
何をして生きていけばよいのか
きっとそれは誰にでもあることだと思います。
しかしながら、生きていかなければなりません。
何がなんでも生きていかなければなりません。
ふと心に穴が開いたような気持ちになることもあるかもしれません。
けれども、私達は何かをしながら生きていかなければなりません。
何をするかは人それぞれで、又、何をするべきかも人それぞれです。
だからこそ、人は迷います。
自分が何をしたら良いのか、何をすれば自分が幸福だと感じるのか
それを模索しながら、苦しみながら、その中に喜びと、幸福を探して
彷徨っていくのです。
殆どが手探りで時々不安になることもあるかもしれません。
けれども、基本的に人間は自然に行動すれば何でもうまく
出来るように作られています。
自分の中には果てしない力が眠っているのです。
それを忘れてはいけません。
どんなに苦しくても自分の根底にある力を疑っては
いけません。じっとチャンスを見極めるのです。
見失ってしまった時こそ、立ち止まって普段は考えられない
ことを考えるべきなのです。そして悩めばいいのです。
悩んで、悩んで、そして問題が解決したような気持ちになって
又、悩んで、泣いたりして、それの繰り返しです。
でも必ず最後には笑えるのです。
そのように出来ているのです。
それを疑わないで下さい。
自分の人生をコントロールしているのは紛れもなく
自分自身だと実感を持って感じることが大切なことです。
自分を見失った時、それはただ悩んであなたが考えている
証だと思います。
何も自分を責める必要などありません。
立ち止まっても誰に迷惑をかけるわけではありません。
自分が納得のいくロジックを探して、しっかり悩むべきなのです。
悩みぬいて、あなたはあなたらしく突き抜けてください。
意志を持つこと
なった世界はまるで地獄絵図のようだ。
意志を持って、苦しくても立ち向かう先に
希望があるなら、それはとても人間らしいと思う。
意志を持つことを公言して、誰かを説得させろなんて
言いません。ただ、もし意志を持って行動するならば
それは言葉でなく行動に現れるでしょう。
Noの時はNoの行動を取るようになると思うのです。
大切なことは個人が考えることをやめないこと
なのだと思います。悩みのない人生の方が幾分か楽かと
思いますが、あなたが永遠の眠りにつくその少し前に何が
残るのでしょうか。
苦の先の希望を見つめて自分を確立して来た人々は
「良い人生だった」と溜息のように深く息を吐き安らかに
永遠の眠りへといざなわれると思います。
でも、もしあなたが無味無感想な生き方をしてきたとしたら
ただ追われるばかりの生活をして、自分の考えるべきことを
放棄してしまったら、あなたの最後には何が残るのでしょうか。
意志を持って、それが苦しい道だとしても、その先に見える希望を
みつめて歩いていければ、人はどれだけ幸福になれることだろうか。
どんな小さな可能性であっても、希望に向かうあなたの心は不安も
ありましょうが、きっと最後は満ち足りると思うのです。
結果を求められる世界かもしれません。
でも結局その結果に満足するかしないかは自分だけの
問題です。あなたの上司が決めることでも、周囲が決める
ことではなく、あなたの行動の結果を判断するのはあなた自身なの
です。
意志を持って生きることを忘れないようにしましょう。
私自身もこの文章を書きつつ、自分に言い聞かせています。
もし、この文章を読んだ方がいるのならば、少なくとも
これを読んでくれた、あなたが今どんな状況にいるのであれ
意志を持ち、その先に希望を見て欲しいと願うばかりです。
忘却
僕もその一人でした。
しかし、僕はそれは間違いなのではないかと最近は
よく思います。学習をしていて確かに何かを覚えられない
ことは苦痛ですし、覚えたはずのことが思い出せないという
ことは屈辱的な思いになります。
しかし、人は何かを忘れられるから生きていけるのです。
もし、辛いことを鮮明にリアルに全て覚えていたらどうでしょうか???
それこそ、辛いと思いませんか。
忘れられることというのは健康な証拠であると思うのです。
そして幸福なことなのだと思います。
忘れるということは自分に必要のないことだから
忘れてしまうのです。生きていくことに支障がないことは
忘れてしまいます。また、覚えていることで生きていくことが
辛くなるようなことも忘れるように出来ています。
しかし、やはり私たちは不完全で忘れられないことがあります。
というより自分自身で記憶を鮮明に刷り込んでしますのです。
それが、私は記憶力が悪い。というような言葉です。
「すぐに忘れてしまう」という事を忘れていれば
そのように思うことは無いはずですが、記憶力が
良いあまり、あなたは自分が「忘れてしまう」という
ことをしっかりと記憶してしまっているのです。
又、繰り返し自分に言い聞かせるものだから
「自分は忘れやすい」ということをどんどん学習し
忘れやすくなっているのです。
もし記憶力が鈍いと自分が思うなら、
まずは忘れられるということの本当の意味
そして、それへの感謝を持ってみてください。
又、忘れられないことの方が、もっと辛いという
ことを感じてみてください。
物事の良いとこ取りは出来ないのです。
忘れられるというのはある種の能力です。
その能力が十分に機能しているのですから
記憶が鈍いのではなく健康な証拠であると
感謝してみるのも良いかもしれません。
弱さ
それが今更、何の問題になるというのだ。僕は自分の弱を
よく知っているのだ。
それでも僕は生きているし、また生きていかなければならない。
僕はこの弱さと非力さを抱えて生きていかなければならないのだ。
しかし、それがどうしたというのだ。どうだっていい事じゃないか。
僕は弱いからこそ熟考するのだ。そして、秩序のない事象に対しても
そこに秩序を見出そうと努力するのだ。
世界で起こる全てのことはカオスだとよく言われるが、それがつまりの
ところ混乱であり、無秩序なのであるが、無秩序という秩序がそこには
あるのだ。
それを認識するために僕は熟考し、自分自身の心理に近づこうとするのだ。
弱さを武器に、非力さを糧に僕は生きていくのだ。僕は想像することが出来るし
それを使うことも出来るのだ。
それが想像力という力なのだ。混乱の中の秩序はやがて常識になり
そしてまたそれは壊れていく。新しい革新者の下に、それは破壊されていく。
でもね、それも又、繰り返される秩序と呼ぶべき現象に他ならないのだ。
今、この世界は限界に来ている。もう、そろそろ頃合なのだ。
革新者が現れ、既存の常識、思想、体系論を書き換えるだろう。
混乱が訪れた時、僕はそこに秩序を見つけるのだ。
革新者になるほど僕は強くない。
でも、革新者以上に僕は熟考し、そこに体系を秩序を見つけるのだ。
僕は弱い。非力だ。
だからこそ、僕に与えられたこと。
それは想像すること。
Every smiles
But ,there are people from learn of life,
Recently, I smile to peoples.
For example , Job members, customers and so on,
Every in time, I learn to all of things,
My mind
When I have think of hate to humans.
Long ago,Not remember.
By the way, Recently I start learning of myself heart.
Because, I hate human that There are cause of my heart it.
I try to change my mind it.
I become more good think that I will be able to like humans.
Change my mind.
FOR GOOD MY LIFE!!!
Are you think it, aren't you?
(英語学習中のため間違いだらけです。
間違えを見つけましたらご指摘下さると
大変ありがたいです )