広大な寂しさが広がる世界の中で
陽のささない部屋の中で膝を抱えている
その小さな世界の中に広がる
広大な寂しさが覆い尽くす世界の中で
乾いた涙を君は探していて
壊れた夢を拾い集めているのだろうか
痛みにさえも手を伸ばして
そこに生きている実感を感じるのだろうか
陽のささないその部屋の中で
広大な寂しさの世界だけが広がっていくような
そんな世界の中で、君はいつ微笑むのだろうか
煌く星屑の光だけを頼りにして
君が手を伸ばしたその先には未来があるのだろうか
君だけにしか見えない
その星屑の希望は
君の足元を照らしてくれるだろうか
足元に散ばった夢の破片が
まるでガラスのように歩くたびに
君の素足を傷つけるけれど
その痛みが生きる希望になるならば
それも仕方ない事で
僕はそれを見つめていようか・・・
僕は僕の心を抱えて・・・
寂しさに苛立つ事が最も悲しいこと
広大な孤独を感じた向こう側に
何を見つめているのだろうか
君が見つめた世界は
そんなに荒廃していたのだろうか
恵み多き世界も
荒廃した世界も
本当は自分の世界である事に
君は気がつくだろうか?
そして
僕は理屈は理解しつつも
感情的をコントロールできるほどに
それを実感する事が出来るだろうか
寂しさに苛立ちを覚えて
結局、人は混じって
溶けてひとつになる事なんて出来ないから
何度も何度も
もう一回、もう一回と
交わりを求めてしまうけれども
それも悲しく、寂しいことは変わらなくて
どこかで、区切りをつけて
いかなくてはならない事を
それを胸に刻んで・・・
たった一瞬だけ
ほんの僅かだけと寂しさを埋めても
それは麻薬のようなもので
消えない傷と
フラッシュバックだけを遺していくから
どこかで自分が自分にしてやれる事を見つけて
歩み続けなければならないんだ
そして心のあり方を
自分自身で見つけて
そこから恵みを得なければ
果てない寂しさに
心がやられてしまうから
寂しさに振り回されて
苛立って夜明けを迎えることが
最も悲しい事
だいたい、引越しが完了して新しいマンションでの生活
仕事が出来る環境にするまでに随分と時間がかかってしまったと思っています。
本当に引越しというのは疲弊するものです。でも、ようやくパソコンのデスクも届き、それを組み立て以前の部屋よりも効率的に仕事が出来る環境が整いました。L型のガラスデスクは作業領域も増えますからかなり使い勝手が良いですね。
また、ここから新しく仕事をスタートしていくわけですが、なんだか疲れも取れず、モヤモヤした気持ちもありつつ、なんだか本調子にならない今日この頃に戸惑っている感じです。でも、だんだん、新しいマンションに慣れてきて、自分の住処という感じは出てきましたから、それは良いような気がします。
2LDKは広いなぁ~~~と思いながら、仕事だけの部屋が別に作れるというのは大変に嬉しい事であると思いました。この中で、これからまた自分との戦いがはじまるわけです。仕事をより効率よく進めて収益の拡大のスピードを上げていくという事が僕の仕事なわけですし、新しい収益機会のアイディアを見つける事を、この部屋で行っていくわけです。
今までよりもかなり効率を上げて作業をしていかなければならないと思います。又、コストを削減していく中で、より高い収益を上げていかなくてはなりません。低コスト、高収益の利益構造を構築するための仕事をもっと推し進めていこうと思うわけです。
キャバクラで働く事が そんなに悪い事だろうか???
そんなに悪い事なのでしょうか?
僕は馬鹿馬鹿しいなって思っています。でも、ゴシップネタでもそれで注目を集めてネットであればアクセスを集めるサイトを作り雑誌であってもそれで購読者がたくさんいるという状態にするからこそ、広告事業としてのビジネスモデルが成り立つわけですし、そのようなネタを提供する事が芸能人の仕事だと言えば構造的にその通りなのですが、それに寄せられている「元同級生」「元同僚」「元指名客」と言われる人々からのインタビューに、キャバクラで働いていた事がまるで悪いことかのように書かれているので、どうも違和感を覚えます。
よく、アダルトビデオに出演していた・・・という事が問題になる事もあります。
僕はそういう記事を見るたびに思うのです。
「だから、結局のところ何が言いたいの?」と。
世間一般的に言えば褒められたことではないかもしれませんが、別にそれを否定するほどのことでもないと感じます。という、相手の記事や文章の意味を汲むという必要もないので言及されている事に対して、結局何が言いたいの?という事がありませんので、なんだか文章をしては不完全なものを書いていると思わずにはいられないわけです。
でも、それより、過去に風俗や水商売で働いていたという事で人格を否定したいからこそ、社会一般的にあまり良いイメージでない職業についていたという事で、何かしら社会的、人間的に欠陥がある可能性があるという事に結論づけたいのだと思いますが・・・。
なんだか・・・残念だなって思うわけです。
いづれにせよ、物事は全体性を持っていますから、「陰と陽」があるから、それぞれに意味が付与されるわけですから、あまり外部「陰陽」に腹を立てる必要もないかと思いながら、それでも、それが人に何かを言われるほど悪いことなのだろうか?と疑問に感じてしまうのです。
神様は怒らない
そんな事を繰り返して
あまりに
それが身近に見えるから
手が届くのだと勘違いをして
あまりに身近なものなのだと
そう感じていて
まるで神様にも勝てる様な
そんな錯覚に陥って
かと言って
神様は決して怒ってはいない
あくまでもやさしく見守っていて
ただ
この世界にある事実を
見つめているだけの事で・・・